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「はい、主よ!」

Scripture イエスが家に入られると、その人たちがみもとに来た。イエスが、「わたしにそれができると信じるのか」と言われると、彼らは「はい、主よ」と言った。 マタイの福音書9:28 新改訳2017 Observation 目の見えない二人組の信仰に驚かされる。 彼らはいったい、いつから目が見えなかったのか?生まれてからずっとか?それとも途中からなのか? しかし彼らの耳にも届いていただろう。 「イエスが死んでいたはずの少女を生き返らせた」 彼らはイエスを見るとすぐさま叫んだ。「ダビデの子よ!私たちをあわれんでください!」 Application 彼らはイエス様に「あわれんでください!」と叫んだ。なぜ叫んだのか? 信じていたからだ。 イエスという者ならば、必ずこの目を開き、癒すことができるのだと。実際にイエス様に、「わたしにそれができると信じるのか」と聞かれた彼らはすぐに「はい、主よ」と言った。そして、彼らは目が癒され見えるようになった。 この順番に感動する。 目が見えるようになったから、信じたのではない。 信じた先に、癒しがあり、見えなかった目の解放があった。どうしても見せてもらってからじゃないと信じられない自分がいる。経験してからではないと疑ってしまう自分がいる。 だけど、目の見えなかった2人のようにイエス様をとことん信じるものとなりたい。 信じるのか?と聞かれて、「はい!」と信仰告白するものでありたい。Yes Lord, Yes Lord, Yes Yes, Lord! はい主よと信じ告白し、主のわざを体験したい。イエス様は最後にこう言われた。「あなたの信仰のとおりになれ。」 Prayer 愛する天のお父さん 僕の中に信じることのできない心があります。疑ってしまう心があります。信仰を与えてください。信仰を増し加えてください。はい主よと告白するものとならせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

「必ず実現する神のことば」

Topic:預言、成就、みことば   Scripture(聖書) 21彼女は男の子を産みます。その子をイエス(「主は救い」の意)と名づけなさい。この方こそ、ご自分を信じる人々を罪から救ってくださるからです。 22このことはみな、神が預言者を(神に託されたことばを語る人)を通して語られた、次のことばが実現するためです。 (マタイ1:21-22 リビングバイブル)     Observation(観察) 真面目に人生を送ってきたヨセフに突然降って湧いてきたマリヤの妊娠。 耳を塞ぎたくなる言葉。 信じていたマリヤに裏切られたのかもしれない。 グルグルと頭に色々な思いが交錯し、混乱し、パニック状態だったと思う。   さらにヨセフを混乱させた天使の登場。 そして、セフに驚きのニュースが告げられた。 マリヤの妊娠は聖霊によるもの。男の子を産むこと。イエスと名付けること。 この子が罪からの救い主であること。これは預言の成就であること。     Application(適用) 今日の通読箇所はマリヤの処女降誕をはじめ、数々の預言の成就を見ることができる。 つまり、神の言葉は必ず実現するということ。   最近、一般の出版社からも、いわゆる「聖書本」が次々と出版されている。 あの池上彰氏も最近「聖書本」を出版した。   コロナ、戦争、元総理の暗殺、物価高騰・・・混沌とした世の中である。 不安材料だらけの世の中である。 人は「確かさ」を求めているのだと思う。   そこで目がつけられるのが「聖書」。 聖書を読めば世界がわかる、とも言われる。   聖書預言は聖書の時代で完結したのではない。 今もなお聖書預言は有効である。 特に終末預言は慎重に読むべきであろう。 悪戯に不安を煽ることは良くないが、聖書は確かに世界の終わりを語っているのだから、目をそらさずきちんと受け止めるべきである。 処女降誕のように、必ずみことばは実現するのだから。   ①毎日みことばに触れる。   ②みことばを学ぶ。   ③みことばを信じる。     Prayer(祈り) 主よ。 秋晴れの爽やかな土曜日を感謝します。 神の言葉である聖書が与えられていることを感謝します。 僕は聖書が誤りなき神の言葉であると信じています。 分かりに難い箇所も確かに聖書には数多くあります。 しかし、目をそらさず聖書を通して御霊なる主が語ってくださることを聞き逃すことがないように。 みことばは必ず実現するのだから、聖書に触れ、聞き、学び、蓄え、信じ、行動し、伝える者とならせてください。 救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン

「満ち足りた生涯」

Topic:人生、ヨブ、死   Scripture(聖書) 16この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。 17こうしてヨブは死んだ。年老いて満ち足りた生涯であった。 (ヨブ42:16-17 新改訳2017)   16そののち、ヨブは百四十年生き長らえ、孫も曾孫も見ることができました。 17こうしてヨブは十分に年老いるまで生き、幸いな人生を終えたのでした。 (ヨブ42:16-17 リビングバイブル)     Observation(観察) 試練の連続、波乱万丈であったヨブの人生の結末が描かれている。   ①長寿を全うした。   ②孫も曾孫も見ることができた。   ③満ち足りた生涯であった。     Application(適用) 昨日11/14は親友の命日(11年)。 高校時代に知り合い、友となり、お互いに献身の志を与えられて、同じ神学校に導かれて、いつも励まし合い、祈り合い、切磋琢磨してきた。 互いに22歳で神学校を卒業して、現場に出た。 彼は高校生伝道、僕は小さな開拓教会の現場へと導かれ、遣わされていった。 末っ子タイプで甘えん坊。誰からも好かれるタイプだった彼がガンにおかされていることを知った時はすでに末期だった。 余命半年の宣告の中、8ヶ月の闘病の末、30代半ばで天に凱旋していった。 あれから11年経ち、自分は48歳。50歳の背中が見えてきたアラフィフである。   自分の地上での人生はあと何年、あと何日、あと何時間あるのか知る由もない。 果たしてヨブのように長生きするかわからないが、とにかく、精一杯与えられた人生を生きていきたい。 ヨブのように孫や、曾孫の顔を見たいという思いはある。 数年前から僕のビジョンの1つは孫や曾孫と礼拝することである。孫や曾孫と一緒に賛美することである。何代にも渡る主の恵みを見てみたいのである。   しかし、いつ天に召されるのかは自分で決められることではないから、主に委ねつつ、期待しつつなのである。   ヨブのように試練のオンパレードのような人生であっても、最後は「満ち足りた生涯であった」と言われる人生は幸いである。 逆に、どんなに物質的に満たされてきた、成功してきたように見える人生であっても、最後が孤独であったり、寂しい人生であったら、それは悲劇である。   「満ち足りた生涯」を生きるために大切なことは・・・   ①God first 神を第一にすること   ②今を喜び、感謝し、満足すること 今を満足できない人はいつまでも満足しない   ③与えること 与えて、与えて、与える。 Givingの人は結局、満たされるというのが聖書的満足人生の原則である。     Prayer(祈り) 主よ。 雨降る寒い朝を迎えています。 でも、心の中にはあなたの優しい愛の温もりを感じます。 愛するPastors Teamと一緒にデボーションできる幸いを感謝します。 主よ、僕の人生はここまでの48年、最高、最幸でした。 すでに「満ち足りた生涯」です。感謝します。 その時がいつかわかりませんが、やがてこの地上を去る時が来ます。 その時まで精一杯使命に生きることができるように。 「こうしてTantanは死んだ。年老いて満ち足りた生涯であった。」と称されるような人生を歩ませてください。 すでに4人の娘たちはあなたを信じ、救いの人生を歩んでいますが、さらにやがて見るであろう、孫たち、曾孫たちも救いの恵みに預かり、そして子供達、孫たち、曾孫たちが主の働き手となりますように。 恵みの主イエス様の名前でお祈りします。アーメン