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十字架の上で少年たちが賛美した詩

御言葉
主をほめたたえよ。 主のしもべたちよ、ほめたたえよ。 主のみ名をほめたたえよ。
詩篇 113:1

観察
この詩篇は長崎で殉教した二十六聖人の一人である12歳の少年ルドビゴ茨木と、13歳の少年アントニオが十字架の上で歌った詩篇と言われている。彼らは「子らよ。主を誉めたたえまつれ」(詩篇 113:1 ラテン語訳) と歌った。彼らはラテン語の訳を元にした聖書の言葉を伝えられていたようだ。豊臣秀吉をはじめとする、時の権力者たちには、京都から長崎に連れて来られたこの26人が十字架の上で、人々の前でついに信仰を捨てるか、信仰を守り貫いた先に待ち受ける運命の見せしめになるか、それらのどちらかになるだろうと考えていた。しかし死刑執行所には彼らの信仰からくる喜びと感謝、そして賛美が響き渡った。その姿、歌声に、長崎の西坂では約4000人の人々が2人の少年から始まった賛美の声に心と声合わせ、大合唱が起こったと言われている。十字架にかかられたイエスの姿を目の前に百人隊長が「この方は本当に神の子であった」と言ったカルバリの丘ように、長崎の西坂で、多くの人々が十字架の上で賛美する二十六聖人の姿に神が確かにおられることを知り、イエス様を信じ、彼らと心合わせて賛美を歌ったのだった。

適用
広島、長崎への旅行が終わった次の日、今日の聖書箇所は奇しくも詩篇113編。日本は宣教師の墓場と言われ、最も宣教が難しい国だと言われている。しかし、キリスト教を禁じる禁令、それに従わないものへの弾圧、迫害があった時代に、長崎の西坂という一つの場所で、4000人を超える人々が主を賛美する大リバイバルが起こった歴史があるのだ。それは、主への信仰を守り抜き、最後まで賛美を捧げた二十六人の信仰者たちの主への誠の信仰と歌声を通して起こったものだった。

まだ日本で救われていない魂がイエス様を主として受け入れる日が来てほしい。この国が神様によって変えられるところを僕は見たいし、そのために仕えていきたい。僕に、僕たちに何ができるだろうか?

何もできないかもしれない。それでも、弱冠12歳、13歳の少年たちがあの長崎の西坂で持っていた、神様への信仰と愛、希望と賛美を僕も最後の時まで守り抜き、彼らのように喜び、感謝するものとして歩んでいくことを選んでいこう。人の目に絶望と感じられる場所にさえ、神様は愛を現し奇跡を起こされる。僕達がその場所で神様を賛美し褒め称え、喜びと感謝を捧げていくならば、Keanuがこの日曜日にメッセージで伝えてくれたように、この令和という季節に、僕達は大収穫を目撃するだろう。たとえ何もなくても、クリスチャン一人一人が彼らのように生きるならば、かならずこの国は変えられる。そのことを信じて続けて歩んでいこう。

祈り
愛する天のお父さん、あなたの御名を賛美します。東京、広島、長崎とこの一週間様々な学びをすることができました。チームのみんなを守ってくださり、無事に終わることができたこと、心から感謝します。

たくさんの学びがあった中でも、長崎の西坂で生き抜いた、あなたの子である二十六人の信仰者たちの生き様を通して多くのことを教えられ、また今もそのことを思い巡らしながら、自分の人生、生き方について考えさせられています。神様、僕がどこに置かれたとしても、人間的な力がどのように働いているように見えようとも、彼らのように、あなたを信じて仰ぎ見て、喜び、感謝し、賛美を捧げることができますように。そこに天の御国を、あなたの栄光と愛を表してください。願わくば、そこで時を共にする一人一人があなたを知り、あなたと共に歩む永遠の幸い、福音を受け取ることができますように。愛するイエス様の御名によって祈ります。アーメン

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