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「イエスにタッチ」

Scripture

イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。大勢の人たちが、あなたを囲んで押し合っています」と言った。
しかし、イエスは言われた。「だれかがわたしにさわりました。わたし自身、自分から力が出て行くのを感じました。」
ルカの福音書8:46ー47 新改訳2017

Observation

会堂司ヤイロの娘が危篤だった。
12歳という若さで命の危険が迫っていたのだ。親であるヤイロは必死に、イエスに助けを求めにやってきた。しかし、イエスは向かう道中で一人の女性と出会う。12年もの間、長血をわずらい、どの医者にも見捨てられてきた女性だった。

Application

女性は、イエスの服の裾にさえ触れられたらと実際に、イエスの裾に触れた。
「イエス様〜!」
と叫びながら近寄ってきたのではない。
彼女はこっそりと、裾をさわりにやってきたのだ。人混みの中で、洋服をさわられて気づくだろうか?いいや、まず気付けないだろう。洋服を引っ張られたなら分かる。だけど、そうじゃない。裾に触れただけ。
しかし、イエス様は気づかれた。
「誰か今、わたしの服を触りませんでしたか?!」
周りの弟子たちでさえも「そんなの分からないです」と気にしなくていいと言うほどの状況だった。

イエスはどうしたか?

立ち止まった。
そして、どの人が自分の服の裾をさわったのかを切に求められた。

彼女は12年も医者に見捨てられ、もしかしたら家族や周りの友人にも諦められていたかもしれない。そんなところを通っていたら、彼女の自分に対する見方はどうなるか?「私なんて・・・」となっていたかもしれない。わずかな希望に縋りたいほどに、絶望の淵に立っていた。

人が見捨てる彼女をイエスは見捨てなかった。

わざわざ立ち止まって
それも一体それが誰なのかを気にかけられた。

時折、自分なんてと思ってしまうことがある。
だけど、主イエスはそんな僕を・・・
1、見捨てない
2、わざわざ立ち止まって存在を探してくれる
3、この方に希望を置いて生きたい

Prayer
愛する天のお父さん
あなたの優しさに感謝します。イエス様、あなたはわざわざ立ち止まってでもこの存在を見捨てず、見つけようとしてくださり感謝します。自分の存在価値やアイデンティティーを見失う時、あなたの愛がそばにあることを思い出します。自分も弱さやを抱え、病を抱え、苦しんでいる人に対して立ち止まってその方の存在を尊い目で見ることができますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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