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罪ある僕を聖い神様の方から呼んでくれる

S

主は臨在の幕屋から、モーセを呼んで仰せになった。 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。 あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。

レビ記 1:1-2

 

O

レビ記の前の書である出エジプト記の最後、モーセは主の栄光が満ちた臨在の幕屋に入ることができなかった。モーセは幕屋に入らなかったのではない。入ることができなかったのだ。罪を犯した人間は、聖なる神様との間には距離を生んでしまったのだ。

しかしレビ記が始まると、希望が残されていたことがわかる。幕屋から外にいるモーセに向かって、神様の方から呼びかけられたのだ。

 

A

僕達はレビ記が書かれた時代のように、罪を犯すたびにできてしまう神様との距離を埋めるために動物を屠ったりしなくてもよい。それはイエス様が来て、僕達の代わりにすべての罪を背負って十字架にかかってくれたからだ。

しかしその希望を知っていてななお、僕は自分たちの罪深さや、神様の聖さとかけ離れた自分を見つめては、落ち込んだり、神様との距離を感じたりする。こんな自分ではもうだめなのではないか、そんなふうに感じることがある。きっと神様の臨在の満ちる幕屋に入ることができなかったモーセもそう感じたことだろう。

けれどレビ記の最初に神様が呼びかけたように、今でも神様は僕を呼んでくれる。僕のうちから罪がなくなり聖く正しくなってから声をかけられるのではない。聖なる神様の近くにいくことができないような自分であるにもかかわらず、神様の方から声をかけ、僕をきよめ、関係を回復させ、また深めてくれるのだ。

神様の声に耳を澄ませていこう。自分の考えではどうしようもないことも、恵み深い神様は違う考えを持っていて、それを伝えてくれるのだ。

また、同じようにがっかりした思いをもっている人たちがいたら、神様が僕に伝えてくれたことをシェアして励ましていこう。

 

P

愛する天のお父さん、あなたの素晴らしい御名、聖い御名を賛美します。聖なるあなたに近づくことのできないような僕だけれど、あなたの方から僕を呼び、贖い、救い、聖め、関係を回復させ、また深めてくださることを感謝します。自分の声、外からの声、色んな声が聞こえてきますが、あなたの呼ぶ声を聞くことができますように。また、今日もし自分の罪深さ、あなたとの間に距離を感じている人がいたら、どうかその一人一人があなたの呼ぶ声を聞くことができるよう助けてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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