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「命令」と「お願い」の違い

Scripture

8-9そんなあなたを見込んで、ぜひ、お願いしたいことがあります。キリストの名によって命じてもよいのですが、私とあなたの間には愛がありますから、あえて命令はしません。年老いた今、キリスト・イエスのために投獄されている、この私からのお願いです。
ピレモンへの手紙1:8−9 リビングバイブル訳JCB

Observation

パウロとてもてから同労者であるピレモンへの手紙
内容は?
あのオネシモをもう一度、ピレモンにお願いしたい。そのような嘆願の手紙だった。オネシモは一度やらかして、ピレモンの手を離れている。しかし彼を見捨てずパウロ大先生が世話をしたのだ。
「以前は役たたずだったかもしれないが今は違う、この愛するオネシモを是非ともピレモン、あなたにお願いしたい。」
しかもパウロは命令ではなく、お願いとして手紙を書いた。

Application

パウロのような大先輩に「これをして欲しい」と命令されれば、ピレモンは従ったかもしれない。命令とは、義務付けらていることを言うし上のものが下のものに指示をする際に使われる。

パウロはこのような上下関係がピレモンとの関係にはなく、愛があると言われた。そして、ピレモンの人々への愛ある言動の評判をとても喜んでいたのもパウロである。そのピレモンだからこそお願いしたい。愛ある関係に命令は必要なく、むしろお願いしたくてパウロは手紙を書いた。

命令は関係性がなくてもできる。
愛がなくてもできる。
あと先考えなければ、あれをしろ、こうしろといくらでも命令することはできる。
「お願い」は頼むことはできるが、それを受けた側は断る権利もある。
一方で、「命令」は基本的に拒否権がなく従わないといけない。

でもパウロはピレモンに、オネシモを「心から迎えてやって」欲しいと嘆願した。つまり、命令されたことは心がなくてもできてしまう。だけど、心込めてして欲しいから「どうか」とお願いした。パウロはピレモンに心からオネシモを愛し、ケアして欲しかったからピレモンが心から決断できるようにお願いの形をとった。

僕は誰かに、何かを頼む時に「命令」しているだろうか?
それとも、「お願い」しているだろうか?

パウロのように「君だからお願いしたい」「君にお願いしたい」そんな思いと確信を持って、人々にバトンを渡しているだろうか?どこかで義務的になり、まるで命令のようになっていないだろうか?愛ゆえに、相手を思い、お願いできる謙遜なものになっていきたい。そう、命令は高慢だが、お願いは謙遜にならなければできないからだ。

命令は仕方なく仕える人が増えるが、お願いは喜んで仕える人が増えるだろう。

※あと命令だと自分がしたくないことをその人に押し付けるだけで、その人に本当にして欲しいことを頼むことは無くなってしまうかもしれない危険性がある。

Prayer
愛する天のお父さん
ニューホープ横浜に与えられたオハナを感謝します。与えられた家族に対して僕はどのような態度でいるでしょうか?パウロのように謙遜になって、相手にお願いしているのか。それとも命令しているでしょうか?みんなが喜びに満たされて仕える文化を築くために、命令ではなく相手の賜物や情熱、喜びを見て、また可能性を見て「お願い」する謙遜さを与えてください。あなただから任せたいとお願いできる謙遜さ、自分が全てやらないといけないと言う思いではなく、みんながいないとダメだと謙遜になれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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