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車に酔うのは不安になるから

S

私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、

たましいの錨のようなものであり、

また幕の内側にまで入って行くものです。

へブル人への手紙 6:19

O

ヘブル人への手紙はユダヤ人たちに向けて書かれた手紙である。彼らのバックグラウンドには、僕達でいうところの旧約聖書、そこに書かれている律法があった。人々はイエス様の恵みの福音、確かな希望を聞いて救いを受け取った。しかしながら、人生に迷いがあったり、困難がある時、昔の不確かな希望へ戻ってしまったりして揺らいだりした。信仰生活が怠惰に流れたり、無関心に陥ったりもしていたようだ。

そんな彼らに向けてヘブル書の著者は、揺るがない希望をもう一度説明し、その希望により頼むことを励ましている。イエスにある確かな望みは確かであり、その希望をしっかりと抱き続けることは魂にとって、どんな船さえもしっかりと繋ぐ、不動の錨のようなものであると書かれている。

A

僕は車に酔いやすい。しかしいつもではない。酔いやすいシチュエーションというのががある。その第一位は、運転が荒い他人が運転する車に乗る時。

よう原因は、もちろん車が揺れているからだ。しかしそれ以上に、事故が起きるんじゃないかと不安な気持ちが増すと、それに比例したように気持ち悪くなる。

安全が保障されておらず、不安や居心地の悪さを感じる時、段々と気持ち悪くなるのだ。(ちなみに自分が運転していると全く酔わない。それは自分にとって安全運転と感じるからだろう。)

僕達の心は安全、平安があるかないかによって同じような状況の中でも感じることが変わる。僕達は安全や平安をもたらす人生の希望をどこに置いているだろう?

もし不確かなものを自分の希望にしていたら、不安やプレッシャーにより、感情的に、霊的に、体調を崩してしまう。だから僕達にとって、揺るがないイエス様に希望を置くことはとても大事だ。

僕達の人生は海に浮かぶ船のようだ。晴れの日、凪の日もあれば、嵐の日、大波に揺られる日もある。しかし何があっても絶対に揺るがない錨に自分が繋がれていると知っているならば、僕達は同じ嵐の中でも心に平安を持って過ごすことができる。

聖書の御言葉、そしてそこで語られている福音の約束、保証を希望にすることを忘れずに過ごしていこう。

P

愛するイエス様、あなたのすばらしい御名を賛美します!晴れの日もあれば、嵐の日もある人生!しかしイエス様という希望を人生の錨とするならば、荒らしの時に心は違うものになるでしょう。もちろんそれでも恐れを抱く弱さを感じる時があります。だからどうかその度に、自分の希望という錨が、すべてに勝利され、永遠に続く天の御国に繋がれていることを思い起こさせてください。信仰の創始者であり完成者、希望の錨でありイエス様の御名によって祈ります。アーメン

 

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