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「信じ、寄り添い、祈り、見捨てない」

cripture

シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ルカの福音書 22:31-32 新改訳2017

Observation

イエスはペテロがこの後、信仰が試される瞬間があることをご存知だった。そして、信仰がなくならないように、とあるようにペテロの信仰がチャレンジの中で弱ってしまうこともご存知だった。全てを知っていてなお、これからを知っていてなお、イエスは「ペテロの信仰がなくならいように祈りました」と祈ってくださる方。祈ろうと思っていますではなく、もうすでに祈られたのだ。

Application

ペテロは信仰の試練を前に、倒れてしまった。
彼は泣き崩れた。
激しく泣いたのだ。
ペテロにとってはイエスの言われた通り、信仰が弱くなってしまった瞬間であり、ついに倒れてしまった瞬間であった。

その後、イエスはよみがえられて後、ペテロに再び出会ってくださる。

そしてもう一度、立ち上がったペテロに「わたしの羊を飼いなさい」と新しい使命とビジョンを与えられたのだ。人の目には、倒れたものはあまり良く映らない。だけど神の目には全く違うことを教えられる。
先日、教会の若者が神に与えられたビジョンがあることを知った。
そのビジョンは何かを聞くと、壮大な夢であった。しかし、まだ若い青年がこれまでの10数年の間に色んなところを通ってきて出会った神に与えられた夢であり、ビジョンである。僕には知る由もないが本人は、10代であろうと誰にも言えない葛藤だってあるだろうし、倒れそうな時もあったはずである。だけど、イエスに出会って人生が変えられ夢が与えられた。青年の夢は、やがて自分も同じような境遇を通る人々に寄り添えるものとなること。彼らにイエスを伝えることだった。

今日の立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさいというイエスの言葉と重なり、心に刺さるものがあった。

僕はイエス様のように誰かを信じているだろうか?
誰かのために祈っているだろうか?
イエスはペテロが倒れると知ってもなお祈られた。信じた。寄り添った。見捨てなかった。

次世代に関わることが赦されている者として、このイエスの姿を目に焼き付けておきたい。

Prayer

愛する天のお父さん
イエス様をありがとうございます。イエス様、僕を信じて祈り続けてくださって感謝します。これまでにイエス様だけじゃなくて多くの方が、こんな僕を信じて祈り続けてくださっていることを改めて感謝します。どうか、イエス様のように僕もその似姿をおいけられるようになれますように。イエスがペテロ信じたように、寄り添ったように、見捨てなかったように、祈られたように、次世代を愛する者とならせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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