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「会堂司はなぜ憤った?」

Topic:奇跡、癒し、会堂司

 

Scripture(聖書)

すると、会堂司はイエスが安息日に癒しを行ったことに憤って、群衆に言った。「働くべきは六日ある。だから、その間に来て治してもらいなさい。安息日にはいけない。」

(ルカ13:14 新改訳2017

 

 

Observation(観察)

時は安息日。

イエス様が会堂でメッセージを語っていた。

その場に居合わせた人はなんとラッキー!

生でイエス様の話を聞くことができただけでも超恵みなのだが、さらに彼らは驚く恵みを目撃する。

 

すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全く伸ばすことができない女の人がいた。イエスは彼女を見ると、彼女はただちに腰が伸びて、神をあがめた。

(ルカ13:12-13 新改訳2017

 

癒しの奇跡が起きたのだ!18年も腰が曲がっていた女性の腰が癒されたのだ!

癒された本人も大喜びで神を賛美した。

 

この奇跡にケチをつけたのが会堂司。

自分が責任を持つ会堂で奇跡が起きたことを、むしろ誇らしく喜んでも良いものだが、彼の表情には喜びは見られない。

冷たい眼差しと怒りの口調で言い放った。

 

「働くべきは六日ある。だから、その間に来て治してもらいなさい。安息日にはいけない。」

 

 

Application(適用)

目の前で癒しの奇跡が起きたのに、その癒しを喜ぶことができない会堂司。

そこに、ある種の宗教的な気持ち悪さを見る。

しかし、もし僕が会堂司本人だとしたら・・・?

規則やルールが破られることを簡単に容認することは難しいかもしれない。

 

この会堂司は冷たいのではない。

責任感が強いのだ。使命感が強いのだ。

しかし、それは柔軟性に欠ける脆さも兼ね備えることでもあった。

 

そして、まさに目の前で想定外の事が起きた時に彼は柔軟に対応するどころか、怒りの感情が強く働いてしまったのだ。

 

聖書は会堂司が「憤って、群衆に言った」と記している。

「憤り」とはかなり強い怒りの表現である。

 

どんなに綿密に計画を立てても、想定外の事は起こる。

そこで、どういう態度を持つかが重要だ。

 

「人生とは出来事が1割、それへの反応が9割だ。」

(チャールズ・R・スウィンドル:アメリカの牧師)

 

①想定外の中に主の奇跡がある場合がある。

奇跡とはそもそも普通のことではない。

普通のことなら奇跡とは言えない。

想定外の事が起きた時に、うろたえてしまいがちだが、落ち着いてそこにある主の奇跡を見る。

 

②喜ぶ者と共に喜ぶ。

会堂司は癒された女性と共に主をあがめることも選択できたはず。

共に賛美し、共に喜べば良かったのだ。

 

③律法的な信仰に陥っていないか自らをチェックする。

 

 

Prayer(祈り)

主よ。

2000年前にあなたが確かに癒しの奇跡を行われたことを信じます。

18年も腰が曲がっていた女性が癒されたことを感謝します。

僕も彼女と共に両手をあげて、あなたを賛美します。

一方で他の人の喜びを喜ぶことのできない罪が自分の中にもあります。

想定外のことに柔軟に対応できない自分がいます。

律法的になってしまう自分がいます。

主よ、僕の心をつくりかえて、あなたの心を与えてください。

今日でも奇跡が起きること、癒しが起こることを信じます。

今日、明日は東京カベナント教会での奉仕です。

あなたの奇跡を待ち望みます。

イエス様の名前でお祈りします。アーメン

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