Topic:新天新地、希望
Scripture(聖書)
3私は、王座から大声で叫ぶ声を聞きました。「ごらんなさい。神の住まいが人々の間にあります。神は人々と共に住み、人々は神の国民となります。神ご自身が人々の中に住み、
4その目から涙をぬぐってくださるのです。もはや、死も悲しみも叫びも苦痛もありません。それらはみな、永遠に姿を消したからです。」
(黙示録21:3-4 リビングバイブル)
Observation(観察)
新天新地のビジョンが語られている。
①神と共に住む。
②目から涙がぬぐわれる。
③死も悲しみも叫びも苦痛もない。
④それらは一時的ではなく永遠に姿を消す。
Application(適用)
2022年の最終日、大晦日の朝を迎えた。
1年を振り返り、思い巡らしている。
うまくいったこともあり、反対に失敗したこともある。
あれは、こうすれば良かった。
もっと上手くできたはずだと思うようなこともある。
それでも、やはり後悔というより感謝が勝る。
それはただ主の恵みとあわれみが尽きないからだ。
1年の最後の日に黙示録の最後の数章を読むように導かれていることは不思議であり、摂理的である。
ここで新天新地のビジョンが語られている。
そこにあるのは深い慰めであり、一点の曇りもない希望である。
世界を見渡すと今年も戦争があり、貧困がある。
略奪があり、格差があり、虐待がある。
芸能人の自殺も相次いだ。
それは、ここ数年、長引いたコロナ禍の影響もあった。
湘南の名店として知られている人気ラーメン店ですら、コロナ禍で心が折れて、この年末に閉店を決めた。
この世界には希望がないのだろうか?
結局、教会は何も出来ない無力な存在なのだろうか?
僕たちの信仰など何の役にも立たないものなのだろうか?
僕たちがどんなに無力であったとしても、惨めであったとしても、神様には希望がある。
彼に信頼する者は失望させられることがない、のである。
そして、新天新地のビジョンがある。
「神ご自身が人々の中に住み、その目から涙をぬぐってくださるのです。もはや、死も悲しみも叫びも苦痛もありません。」・・・という世界である。
やがて、そこに住まうことを夢見て、天を見上げて、主を見上げて、進んでいくのだ。
今年4月に天に凱旋した小坂忠先生のことを想っている。
僕は1000人が集うような忠先生の葬儀の司式をさせてもらった。
忠先生はクリスチャンになって間もない僕に賛美の素晴らしさを教えてくれた1人である。
そして忠先生は日本の礼拝賛美を変えたと言っても過言ではない器である。
その忠先生が作った賛美「そこに住まいがある」が心に流れてくる。
「そこに住まいがある」
そこには夜がない 嘆きも恐れも
主の栄光が照らす そこに住まいがある
そこに涙はない 病いも苦しみも
命の川に憩う そこに住まいがある
そこにはいる 道はひとつだけ
子供のように 素直な心で
私のため 十字架にかかった
イエスを心に 迎えるだけ
Prayer(祈り)
主よ。
2022年の最終日、大晦日を迎えています。
2022年がここまで守られたことを感謝します。
足りない者でしたが、主のあわれみと恵みは尽きることなく、
私の前を進み、私の背後から支えてくれました。
この世界を見渡すと希望を見出すのは至難の業です。
むしろ、自己中心な人間の罪ばかりが見えてくる。
しかし、目を天に向けるとき、そこにあるのは新天新地のビジョン。
死も悲しも叫びも苦痛もない世界。
来る2023も天を仰いで進ませてください。
そして、希望が主にあることを宣べ伝えさせてください。
マラナタ、主よ、来てください。
愛する救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン