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「粘りの祈り」

Topic:祈り   Scripture(聖書) ある日、イエスは弟子たちに、いつでも祈り、また答えられるまで祈り続けることを教えようと、一つのたとえを話されました。 (ルカ18:1 リビングバイブル)   いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。(ルカ18:1 新改訳2017)     Observation(観察) イエス様は弟子たちに祈りを教えられた。   ①いつでも祈ること   ②失望しないで祈ること   ③答えられるまえ祈り続けること     Application(適用) イエス様はルカ11章でも「主の祈り」や「Ask!Seek!Knock!」の祈りを教えられたが、この18章でも祈りを教えている。   祈りについては、それだけ学ぶことが多い。 また、牧師として祈りを教えていくことも大事であることを改めて気づかされる。 使徒6章で初代教会に問題が起こった時も、ペテロは牧師として自らの最優先事項として「祈り」を語っている。   信仰をもって33年。牧師になって25年。 まだまだ、祈りについて学ぶことが大事なのだ。   イエス様は今日の箇所では・・・ ①いつでも祈ること ②失望しないで祈ること ③答えられるまえ祈り続けること   を教えている。 特に心に刺さるのは「答えられるまで祈り続けること」。   例えば、家族の救い。 「いつか、その時が来るだろう。主の時があるさ。」と楽観視し過ぎてしまって、祈ることを疎かにし、怠っていないだろうか?   諦めずに祈り続ける。 答えられるまで祈り続ける。   そういう粘りの信仰、しぶとい信仰が僕には欠けているのかもしれない。 家族、親戚の救いや日本のリバイバル。   諦めずに祈る!答えられるまで祈る!     Prayer(祈り) 主よ。 今朝、もう一度祈りについて教えてくださって感謝します。 祈りが足りない者です。 いつも祈る者としてください。 失望しないで祈る者としてください。 答えられるまで祈る者としてください。 家族、親戚を救いに導いてください! 日本にリバイバルを与えてください! 救い主イエス様の名前で祈ります。アーメン    

「なすべきことをしただけです」

Scripture 同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」 ルカの福音書17:10 新改訳2017 Observation 命じられたことを全て行ったなら、「これだけやったんだ」と言わず。。。 なんと言えばいいのか? 「なすべきことをしただけです。」 Application 絶対自分には言えないセリフだ。 普段の自分は、どれだけ自分がやったのか頑張ったのかアピールしたくてたまらないからだ。これだけ頑張ったんだぜと、どうしても言いたい。誰かに褒められたいし、良くやったと言われたい気持ちがどうしてもある。 「なすべきことをしただけです」 こう言えない自分の心は一体なんだろうか。 一体、その一つ一つを誰のために行っているのだろうか? 「自分のため」・・・になっていたら、やっぱりその心は自分を見て見てになっている。どうしても自分が頑張ったことを認めて欲しい。イエス様は全てを犠牲にして僕たちのために命をかけてくださった。命を懸ける大きな愛の裏で、イエス様はこう言われた。 「このためにこそ来た」 自分を見て、ではなくて「このために来た」と言われたイエス様は僕たちの模範である。 何のためにそのことをしているのか。 それを見失わないでいたい。 命じられたことをしたまでですと言えるほどの謙遜さを持って、神様からのコーリング、語りかけに応答していきたい。自分を見せびらかすためにするのではなく、全て主のため。 Prayer 愛する天のお父さん あなたからの呼びかけなはずが、その目的が自分になっていることばかりです。自分を認めてもらいたい心があります。でも、全てはあなたのためです。いやいやでもなく、仕方なくでもなく、心から語られたことに「なすべきことをしただけです」と言って応答していけますように助けてください。心を変えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。