Scripture
9ところが、私は神の使者になることを
やめるわけにはいきません。
二度と主のことを口にしないでおこう、
これ以上、神の名によって語るのはやめようと言うと、
私の心のうちにある神のことばは、
まるで火のように骨の中で燃えています。
そのため、苦しくてたまりません。
エレミヤ書20:9 リビングバイブル訳
Observation
いつの時代も過酷な状況下で預言者達は神様の言葉を伝え続けた。エレミヤももちろん例外ではない。神の言葉を伝え続けることが自らの使命と受け止めていた彼でさえも「もう神について、神の言葉を語るのはやめよう」と思ってしまうほどの迫害と苦難があった。語れば語るほどに、彼はむしろ苦しんだのだ。
しかし、エレミヤはそれでも語り続けた。
もうやめようと思ったエレミヤを元気付けたのは何だったのか?
Application
みことばだ。
「私の心のうちにある神のことばは、
まるで火のように骨の中で燃えています。」
苦悩しもうやめようと疲れ果てていたエレミヤをそれでも心燃やすのは、やっぱり神様の言葉だった。神様の言葉を伝えれば伝えるほどに迫害にあい、辛い思いをするのに、それでも彼の心を燃やすのは神様の言葉、みことばであった。
イエス様が十字架で死なれ、寂しい思いをして落胆していた弟子の前にイエス様が再び現れてくださったエマオの途上の出来事がある。弟子達は本当に落胆していた。一緒にいるのがイエス様だということも分からないほどに落ち込んでいた。何も目に入らないほどだった。けれど、彼らは共にエマオへの道を歩いたのがイエス様だと知るとこう言った。
そこでふたりは話し合った。「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
ルカの福音書24:32
弟子達はイエス様だと気づかずとも聞いていた聖書の言葉、みことばによって心が燃やされる経験をしていたのだ。
1、神の言葉は魂を燃やす
2、神の言葉は元気をくれる
3、神の言葉を伝える使命に生かされている
たとえ、どんななチャレンジがやってこようと心が落ち込もうと何度だって、みことばに支えられ、励まされて再び立ちあがろう。みことばに心を燃やしていただき、なお、神の言葉を宣べ伝えるものとして仕えていこう。みことばに生き、みことばに生かされる人生を歩みたい。
Prayer
愛する天のお父さん
様々なことが起こります。自分が思ってもいなかったことが起こります。それでも変化の世界にあって、決して変わらないあなたのみことばを握り生きます。あなたの言葉、みことばこそ僕の魂を生かし、勇気と元気を与えてくださる言葉。そして時に慰めを与え癒しを与えてくださる言葉です。ここに書かれている通りに生きるものとならせて下さい。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン
Scripture
“神はこう答えました。 「そのような愚かなことを言ってはならない。 分別のあることばを語りなさい。 おまえが、前のようにわたしに頼るようになれば、 わたしの代弁者にしておく。 おまえが彼らに影響を与えるべきであって、 彼らの影響を受けてはならない。”
エレミヤ書 15:19 …
Topic:信仰、奇跡、みことば、聞き従う
Scripture(聖書)
39「さあ、石をわきにどけなさい。」イエスは人々をうながされました。マルタがあわてて止めました。「でも、もうひどいにおいがしています。なにしろ、死んでから今日で四日ですもの。」
40イエスはマルタにおっしゃいました。「もし信じるなら神のすばらしい奇跡を見る、と言ったはずです。」
(ヨハネ11:39-40 リビングバイブル)
39“Roll the stone aside,” Jesus told them. But Martha, the dead man’s sister,…
Scripture
Now on the last day, the great day of the feast, Jesus…
Scripture
「行って、見つかった書物のことばについて、私のため、イスラエルとユダの残りの者のために、主を求めよ。私たちの先祖が主のことばを守らず、すべてこの書に記されているとおりに行わなかったために、私たちの上に注がれた主の憤りが激しいからだ。」
2歴代誌 34:21
Observation
当時の王であったヨシヤは、主の目にかなった、神様を愛する王だった。彼は、主の宮をきよめ、修繕するために人とお金を集めて工事をすることにした。その工事中、なんと主の律法が記されている書物が見つかった。それがヨシヤ王の手に渡って読んだ時、彼は衣を引き裂いて、どれだけユダの人々が神様に背いてきたのかを知り、嘆き悲しんだ。そして、今残された自分達がどうすべきなのか、神様の思いを知るために預言者の元に人を遣わした。
まず、律法が記された書物が、王や民に知られていなかったことに関してびっくりだ。彼らは、そもそも神様が何を民に求めていて、どのような方であるのか無知だったのだ。そりゃ道から外れるわ!とも思うけど、無知であること、そもそも求めていなかったことに対しても神様の目には正しくなかった。口頭では、教えられていたと思う。これこれを守るようにと、耳にはしていたと思う。でも、彼らは直接神の言葉として触れていなかったのかもしれない。その無知は、罪へと自分の身を深く深く招いてしまう。御言葉に触れて、御言葉を知るってとっても大切なことであると改めてリマインドされた。
Application
デボーションを大切にし、また誰かと一緒にする。
神様の御言葉に触れることは、神様のきよさ、正しさを知り、自分の罪を認め、イエス様の贖いに目を向けさせられる。自分自身もデボーションをする中で初めて自分の罪深さを知った。と同時にイエス様の深い愛を体験した。この聖書の言葉を体験することは、神様を知り、体験し、神様の愛をさらに知ることと繋がっている。
聖書の言葉を知らなければ、さらに罪へと進み続けて、理由もわからず自らを苦しめ、その救済措置であるイエス様の救いも知らずに生きていくことになる。教会に来ていて、聖書の言葉を耳にするのももちろん大切だけど、ヨシヤが治めていた時のイスラエルのように、神の言葉に直接触れ、向き合うことはとっても大切なことだ。
だから、もちろん自分もデボーションをして自分自身をメンテナンスするけど、まだ直接聖書に触れ、向き合っていない人と一緒にデボーションをして、神様の御言葉に一緒に向き合い、神様のことをもっと知ることを励まそう。私の言葉で励ますことが時には必要。でも、御言葉に勝るものはない!実穂も一緒にデボーションしよう!って言ってたな〜!私もデボーションを一緒にして、彼らと一緒に成長することを選ぼう。
Prayer…
Scripture:
'When Jesus saw him lying there and learned that he had been…