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「喜ばれる人生」

Scripture "主よあなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは知恵をもってそれらをみな造られました。地はあなたのもので満ちています。" 詩篇 104篇24節 "主の栄光がとこしえにありますように。主がご自分のみわざを喜ばれますように。" 詩篇 104篇31節   Observation 主によって、わたしたちは生き、存在している。 主によって、今日も生かされている。 "御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。" ヘブル人への手紙 1章3節 その主が、今日私を生かすという御わざを喜ばれますように。と思った。   Application 主が与えてくれた今日をどのように生きたらよいのか。…

「どんな時にも」

Topic:みことば、伝道   Scripture(聖書) みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えならがら、責め、戒め、また勧めなさい。 (第二テモテ4:2 新改訳2017)   どんな時にも、神のことばを熱心に伝えなさい。機会があろうとなかろうと、つごうが良かろうと悪かろうと、しっかりやりなさい。過ちを犯している人には忠告して、正しい道に引き戻しなさい。そして善行を行うよう励まし、神のことばを教え続けなさい。 (第二テモテ4:2 リビングバイブル)     Observation(観察) 自らの人生の終わり、死を覚悟しているパウロの愛弟子テモテへの言葉。 それは、神のことば / みことばを宣べ伝えること。   ①どんな時でも   ②時が良くても悪くても   ③しっかりやりなさい   ④忍耐の限りを尽くす   ⑤教え続ける     Application(適用) 僕の好きな聖書の言葉の1つである。 自らの人生の目標、指針となっているみことばの1つである。 暗唱し、何度も、何度も心に刻み込んで来たみことばである。   それでも、今朝新たなチャレンジと迫りをもってこのみことばが心に語りかけてくる。 私たちの主が生きておられる証拠である。   みことばを宣べ伝える・・・それがパウロが若き牧会者テモテに与えた遺言チャレンジであった。 それだけ、テモテにとってみことばを語り続けることに困難があったのであろう。 心折れるようなことがあったのであろう。 それでも、パウロは「負けるな」「めげるな」「心折れるな」「諦めるな」と語る。   みことばを宣べ伝えるということは耳触りの良いことばかりを話すことではない。 今日の別の通読箇所の1つがアモス書であったが、旧約の預言者のごとく言い難いことも話さなければならないこともある。 それでも、語り続けなければならない。   NHYが18周年を迎え、19年目に向かおうとするこの時期にシンプルな主の働きの原点を教えられ感謝である。 NHYはみことばに聴く教会、みことばに従う教会、みことばに生きる教会、そしてみことばを宣べ伝える教会なのだ。     Prayer(祈り) 主よ。 6月最後の火曜日の朝、梅雨明けして真夏のような暑さです。 どんな時でも、みことばを通して語りかけてくださって感謝します。 そして、どんな時でもみことばを宣べ伝えるようにとチャレンジと励ましを与えてくださって感謝します。 あらゆる方法を用いてみことばを宣べ伝える者とならせてください。 どんな時でもみことばを宣べ伝える者とならせてください。 そして、19年目の歩みに向かおうとしているNHYがますますみことばを宣べ伝える教会として歩むことができるように導いてください。 救い主イエス様の名前で祈ります。アーメン            

「5度も6度も何度だって」

Scripture 「しかし、預言者は怒って言いました。「あなたは三度だけでなく、五度も六度も打つべきだった。そうすれば、シリヤを徹底的に滅ぼせたのに。これでは、三度しか勝つことはできない。」」 列王記Ⅱ 13:19 リビングバイブル訳 Observation ヨアシュ王は功績を残している。 しかし、偶像から離れず主の目に悪を行い続けていた。 そんな彼に対して死を目前にしたエリシャは、それでも主への忠実を尽くし、預言者としての働きをなされた。 エリシャはイスラエルの勝利の矢をヨアシュに射させる。 すると次に、エリシャは彼に矢を取って地面を打ちなさいと言われる。 さあ、ヨアシュは何回打ったのか? Application 3回 ヨアシュは3回地面を叩いた。 それを見たエリシャは大激怒する。なぜ3回しか打たないのか。5回でも6回でも叩くべきだった。そうしたら徹底的に敵国アラムを滅ぼせたのにと嘆くのだった。 矢で地面を叩けと言われて何度もやろうと思う人がいるだろうか?僕も何でこんな事と思ってしまい、1回渋々やるかなというところだろう。しかし、ヨアシュがここで向き合っていた状況はそうは言っていられない状況だった。本当ならもっと切羽詰まっていて、何とか勝利を収めたい。その思いでエリシャの元に行ったのではないだろうか? けれど彼は3回だけ叩いた。 まるで叩けと言われたから仕方なく叩いたかのように、とりあえず3回叩いた。 彼は何をしているのか意味も分かっていなかったかもしれない。 だけど、ヨアシュには何がなんでもという姿があまり見られなかった。叩けば勝利が約束されるのなら、何度だって叩く。なんだかエリシャに預言を聞きに行って、形的にはすごい信仰深く、知恵深いかもしれない。だけど、ヨアシュはがむしゃらさ、必死さに欠けていたように思う。 どこかで僕自身も綺麗におさまろうとしている心がある。 がむしゃらに神様を信じて、泥臭く、カッコ悪くても何度だって神様に祈り求め、約束を信じるものとなっていきたい。 疑って諦めてしまい、終わりにしたくない。 これくらいでいいやと終わらせないでいよう。 どこまでも神様を信じて叩き続けたい。 Prayer 愛する天のお父さん 諦めてしまう僕の信仰の薄さ弱さを知ってくださっているあなたに、もう一度祈ります。もう一度求めます。ヨアシュのように何回かやって、それでいいやと思ってしまうのではなく、本当に求めていることに対してもっと必死にがむしゃらになりたいです。きれいにおさめようとするにではなく、あなたを信じてひたすらに叩き求め続けるものとさせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

「楽しみ喜べ」

Topic:喜び   Scripture(聖書) 私の民よ、恐れるな。 さあ、楽しみ喜べ。 主が驚くべきことをしてくださったのだから。 (ヨエル2:21 リビングバイブル)     Observation(観察) 預言者ヨエルを通して語られた主の言葉。   ①恐れるな。   ②楽しみ喜べ。   ③主が驚くべきことをしてくださったから。     Application(適用) 「喜び」は聖書が教える大切なテーマの1つであり、御霊の実の1つでもある。   新約聖書において、パウロが度々「喜びなさい」と語っていることは有名だが、旧約聖書においても「喜び」は語られている。   その喜びの根拠となる土台は何か?・・・それは「主が驚くべきことをしてくださった」という主の救いの御業が根拠となっている。   目の前の些細なことの中にも喜びが隠されている。 自分の思い通りに事が運んだら誰でも喜ばしい。 しかし、思い通りにいかなかったとしても、自分の思いをはるかに凌駕する大きな主の計画に気づかされ、試練すらも信仰者は喜ぶことができる。   何より素晴らしい喜びはイエス様の十字架と復活によってもたらされた永遠のいのちに至る喜び。   この喜びを伝えんとしてNHYの礼拝がスタートしたのが18年前の6月最後の日曜日。 18年、主は驚くべきことをしてくださった。今もその驚くべき御業の中にある。 今年は18th Anniversaryの礼拝は会場の関係で7/3であるが、改めて   私の民よ、恐れるな。 さあ、楽しみ喜べ。 主が驚くべきことをしてくださったのだから。   という主の言葉を胸に刻んで6月最後の日曜、そして18周年礼拝、19年目の教会の歩みに進んでいきたい。     Prayer(祈り) 主よ。 恐れません。18年間、驚くべきことをしてくださった主の御名を褒め称えます。 何より素晴らしい主の救いの恵み、主の選びの恵み。 それゆえ楽しみ、喜びます。 今日も、明日も、とこえしえまでも。 救い主イエス・キリストの名前で祈ります。アーメン