Skip to content Skip to footer

行いが心のずれを気づかせないことがある

S
アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
ルカによる福音書 16:31

“He said to him, ‘If they do not listen to Moses and the Prophets, they will not be convinced even if someone rises from the dead.’ ”
Luke 16:31

O
ある時イエス様が弟子たちに例え話を用いて教えられていた。その最後に、「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」と教えられると、それを聞いていた金に執着するパリサイ派の人々がイエス様をあざ笑った。彼らは自分たちの行いは正しく、天に入るのに相応し者だと考えていた。そんな彼らはイエス様に度々、「しるしをみせろ。そうすれば信じようじゃないか。」と口にした。

しかしイエス様は彼らの本当の問題を指摘された。それは彼らの心であった。彼らは何を神様が本当に願っているかを考えていなかった。また、モーセや預言者が語った言葉を、自分たちのいいように解釈して”守って”いた。彼らの”正しい行い”は、上辺ばかりの行動であり、その心は神様から遠く離れていたのだった。

だからイエス様は例え話を用いて、こう言われた。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう』。

事実、彼らの多くはイエス様がなされた奇跡、すなわちしるし、なによりも十字架での死と復活があっても、心を頑なにしたのだった。

A
今日の箇所から、自分の心、動機、神様への愛を確認することの大切さを教えられる。もしこれらがずれているならば、僕の行動は一見正しいように見えるけれど、実は大きく的を外れたものになっていることがあるのだ。そしてずれた心のままでは、神様のなさることを見たとしても、それが神様がなさっていることだと気づけないことさえあるのだ。

ギターはチューニングしなくても音はでる。ちょっとずれてても、「これが正しいんだロックなんだ」とか言っている人を聞いたことはあるが、、、結局のところずれたチューニングから生まれる音は、おかしな”ハーモニー”なのだ。

同じように、僕の中のなにかがずれていても、音が出せないわけではない。だからこそ注意が必要だ。日々自分の心、動機、神様への愛を確認していこう。聖書を読みながら毎日の神様と過ごすこと、祈ること、神様を愛し礼拝すること、そのことを大切にし、神様に心をチューニングしてください、整えてくださいとお願いしよう。

P
愛する天のお父さん、あなたの御名を賛美します。聖書の御言葉を通して、大切なことを教えてくださり、感謝します。僕が自分の行いに目を向け、あたかも正しく問題ないかのように振る舞うことがないよう教えてください。僕はあなたの愛と赦しの恵み、哀れみがいつも必要なものです。どうか僕の心と動機とあなたへの愛を、あなたの喜ばれるものへと整えてください。愛するイエス様の御名によって祈ります。アーメン

Leave a comment