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人の目には無力で虚しくとも

S

するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
ルカの福音書 23:43

 

O
ルカの福音書も残すは2章。23章にはイエス様が訴えられ、十字架へと向かい、そして全人類の罪を背負って十字架の上にかかられた場面が書かれている。今日その中で、十字架にかかられたイエス様と、隣で同じように十字架にかかっていた罪人との場面に目が留まった。

人々は十字架にかけられたイエス様を、何もできない力無きもの、偽物の救い主だと笑い、侮辱した。イエス様の隣には2人の罪人が同じように十字架にかかっていたが、そのうちの1人も同じようにイエス様を罵った。しかし反対側にいた罪人は違った。彼はイエス様を罵った罪人をたしなめ、そして罪のないイエス様が十字架にかかり、自分を救ってくださる主だと信じた。

このようにして、イエス様と同じ距離で、同じ状況に置かれ、同じものを見て、聞いていても、1人は虚しさ、偽りしか見出せず、お前は無力だと罵しり、もう1人は確かな希望を見出し、天で自分を思い出してほしいと願った。

 

A
神の御国のために働く人生は、多くの人とって馬鹿げたもの、力無いものに見えるだろう。しかしその中で何を言われるとしても、僕の果たすべき使命は変わらない。だから人の目を恐れ、生きるべき道を走り切ることを諦めてはいけない。

20代の時と今では当然人生に対しての見方、考え方は違う。しかし30代後半となり、良くも悪くもこれからのことを考えさせられている。その中で時に不安もよぎる。しかし今日十字架にかかられるイエス様の姿を見ながら、心を守り燃やし続け、自分の走るべき道を走り抜くことをもう一度励まされた。

福音を伝えるために生きる。その姿が人の目に虚しく無力に見えるとしても、その声に負けてはいけない。あきらめてはいけない。2024年、そして次の5年、10年、僕はどのような働きができるだろうか?時間を計画して取り、祈っていこう。イエス様が十字架を見つめて地上での道を走り抜かれたように、僕も神様に信頼し、走るべき道のりを走り抜いていこう。たった1人でもこの人生が用いられることで、イエス様と出会い、愛と赦しの希望を知る人がいる限り。

 

P
愛する神様、あなたの御名を賛美します。今日あなたが十字架に掛かる姿に、最後まで御国のために生き抜くことを励まされました。感謝します。しかしながら、年を重ねるごとに、心配を感じることがあります。無力で虚しい人生になってしまったらどうしよういう不安もあります。しかし御国のために生き抜くことは、多くの人にとっては虚しく無力に見えることなのかもしれません。

だからあなたの姿をいつも思い出し、永遠において価値あることのために生き抜くことを日々選ぶことができるように教えてください。僕は残りの人生どのように生きるべきでしょうか?教えてください。1人でも多くの人を天の国、あなたの元へといくことができるよう僕を用いてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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