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この世のものに心が向いてしまう時

T
人生の目的

S
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
マルコによる福音書 8:35

O
僕達はイエス様にどんな期待を寄せているだろう?
イエス様がこの地上にいた時代、人々が期待していたイエス様の姿は、他国の支配から自分たちを解放してくれる、政治的、軍事的な救い主であった。それゆえイエス様が、「多くの苦しみを受けて殺されなければならない」と弟子たちに教えた時、彼らはそれが理解できなかった。弟子の一人であるペテロはイエス様をわきへ連れていって、rebuke、すなわち非難、叱責した。今日の箇所には、イエス様はそんな弟子たち、そして人々を集めて、本当の救いについて教え始められた場面が書かれている。

A
僕がクリスチャン、イエス様に従う者として歩み始めてから18年が経った。後悔などない。本気でそう思う。けれど、世の中で人々の姿を見る時、彼らがこの世で人々が願う人生を歩んで祝福を受けているかのように見える時、時々ふと、「自分はこれでよかったのだろうか」と考えてしまう時がある。

しかしイエスは聖書を通して当時も今も教えられている。たとえ全世界を手に入れようとも、この地上の命のために生きるならば、実のところ、彼らは命を失っているのであると。

イエスが十字架にかかられた時、この地上の人々が願うものをイエスは何一つ持っていないように見えた。むしろ人々の目にイエスは何もなく、何もできない姿に映ったことだろう。しかしそこにこそ、本当の救いがあった。本当の豊かさがあった。本当の愛があった。本当の赦しがあった。しかしそこに辿り着くには、十字架を背負わなければいけなかった。

自分の生きるべき道はイエス様が歩んだ道の上にある。自分の生きる道をイエス様の姿に見出すことを止めてはいけない。自分の心に弱さがあるし、人々を見て、これでよかったのだろうか、と思うことはあるけれど、その度、神様に信頼することをもう一度選んでいこう。自分の国籍はこの地上ではなく、天にある。今日も自分は天の御国に向かっていることを忘れないでいよう。

また、イエス様が命をかけて良い知らせ、福音を届けてくれたように、僕も自分がこの地上で生きることを通し、イエス様と共に歩む人生が本物の道、父なる神様がいる天に続く道なのだと、人々に伝えていきたい。

P
神様、あなたの御名を賛美します。今日はマルコの福音書から大切なことをリマインドしてくださりありがとうございます。僕の人生を、あなたの福音を宣べ伝えるために用いてください。主よ、僕があなたについていくもの、あなたのように生きるものなることができますように。しかし時に僕のフォーカスはずれ、この地上のものに心を馳せてしまうことがあります。赦してください。あなたが僕の心の弱さに寄り添ってくださる方であることに感謝します。イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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