Topic 高慢
Scripture
やがて大都市を建設しようという話が持ち上がりました。永久に残る記念碑として、天にも届くような塔を造り、自分たちの力を見せつけようというのです。「こうやって一致団結すれば、あちこちに散らされる心配もなくなるだろう。」そう豪語すると、人々はよく焼いた固いれんがをうず高く積み上げ、アスファルトで固めました。
創世記 11:3-4 リビングバイブル訳
Observation
「自分たちの力を見せつけよう」
彼らは言葉を話し、煉瓦を作り、大都市を作り上げる力を得た。
しかし、それは天まで登り詰めて自分たちの力を見せつけるためだった。結果、主はそれを壊し、人々を散らし、彼らに別々の言葉を与えた。
Application
人は力を得ると高ぶる
それは時に間違った方向に進ませ、神様を悲しませることがある。
天まで登り詰める塔を築こうとした当時の人々は、塔を作れる力を得た。世の中では力があり、能力がある方が評価されやすい。
反対に特別な能力がなく、多くができないと目立たないし評価してもらえないことがある。
だけど、それも同じで力があると人は高慢になる。
自分で何でもできてしまうし、助けを必要としないからだ。
もしかしたら、何もできない方がよっぽどいいのかもしれない。
好きな賛美の一つに「神の子」という曲がある。
その歌詞は・・・
何ができてもできなくても
何を得ても失っても
ただ愛されてる
天の父に
私は神の子
人は何かが出来過ぎてしまうともしかしたら、それに過信し、高慢に陥り、神を頼ることができなくなってしまう。そして神に愛されていることより、自分が何ができるのか、自分がどんな成果を生み出したのかに心が奪われてしまう。だけど、神様が本来僕たちに注いでいる愛はそうではない。
そのままで愛されている。
僕は自分のリーダーシップの無さ、アドミニとしての賜物の無さ、そうしたところばかりに目がいっていた。でも、できていたらもっと、自分の力により頼んでいたかもしれない。それを見せつけ右葉としているだろう。
できない、でも愛されている。それで十分である。
そしてできないからこそ、信頼できる神に頼り、今自分にできることに精一杯になっていこう。
Prayer
愛する天の神様
僕の中にある高慢さを打ち砕き、謙遜にしてください。あなたにより頼みながら2021年も歩めますように。あなたが必要です。あなたが大きくなってください。あなたにそのままで愛されている。それで十分ですと感謝できますように。時に僕に与えられた力が僕を高慢にするなら取り去ってください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン 。