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「溢れんばかりの恵みの世界」

Scripture

‘このキリストを通して、今や、神のすべての恵みが、それを受ける資格のない罪人の私たちに、あふれるばかり注がれています。そして今、私たちは、神がなしてくださったことを全世界の人々に知らせるために、キリストから遣わされているのです。それは、すべての人がキリストを信じ、従うようになるためです。 ‘

ローマ人への手紙 1:5 リビングバイブル訳

Observation

恵みを受ける資格がなかった罪人の私たち
なのに、神の恵みは「あふれるばかり注が」れている。
神の与えてくださった最大の恵み・・・それはイエス様の十字架の死と復活。イエス様がいのちをかけて救い出してくれなければ、どんなに罪赦されたいと願っても希望がなく、よみがえりの力を受けることもなく永遠の死が待っているのみであった。

だけど、もう死を恐れないでいい。

死んでもまだ生きる天国への道が開かれたのだ。
そして救われてなお、古い肉の思いに揺り動かされてしまう僕たちだが何度でもイエス様の十字架の御前にささげるなら赦しの道が開かれるのだ。

この恵みがあふれるばかりに注がれている

Application

にも関わらず

恵みの世界に生きるのではなく、いまだに自力で生きようとしている僕がいる。
溢れるばかりに注がれている恵みを脇に置いて、自分の力で祝福を勝ち得ようとしている。旧約聖書に登場するヤコブはずっとそんな人生だった。生まれた時から、兄のかかとを掴んで生まれ、長子の権利、祝福とそれからもなんでも自分で奪い取ってきた。だけど、それはいつも何かから逃げてばかりの人生でもあった。
彼は家から離れなければならず
両親からも離れなければならなかった
孤独を経験する
叔父の家に逃げても14年、忍耐を経験させられた。自分の力の限界をそれでも認められず、恵みに生きることを受け入れられなかった。なんでも自分の力でできると過信していたのかもしれない。だけど、兄エサウの元に帰る時だけはそうはいかなかった。この時も自作自演でなんとかしのごうとしたヤコブ。でも神様はそれさえも見透かされていた。

自分の限界を認められない
自分で勝ち取ろうとする
手放しきれない
ヤコブの姿を見ると、自分を見ているとようだ。

パウロは救われるまでに握っていた人生がある。それは自分が全ての世界。だけど、そうではなく神様がおられる人生があり、神が共にいてくださる人生があるとパウロは知ったのだ。それをパウロは恵みの世界だと言う。溢れんばかりに注がれている恵みを受け取る世界だと言うのだ。

恵みに生きる世界

それは一方で神様にとことん信頼して手放していく世界

自分で掴み取ろうとする世界ではなく、手放したその手に神様がそっと恵みを注いでくださる世界。
この恵みの世界をもっと信じていく者となりたい。
そして、神様の恵みがあふれんばかりにあることを一人でも多くの人に知ってもらいたい。

Prayer

愛する天のお父さん
あなたの溢れんばかりの恵みが注がれているにも関わらず、恵みに信頼せず、握りしめてしまう僕の心の弱さ、汚さ、頑なさを今、変えてください。新しくしてください。恐れではなく、あなたからくる平安に生かしてください。手を広げます。注いでください、あなたの溢れんばかりの恵みを。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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