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「泣き崩れていい」

Scripture

するとすぐに、鶏がもう一度鳴いた。ペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と、イエスが自分に話されたことを思い出した。そして彼は泣き崩れた。

マルコの福音書14:72 新改訳聖書2017

Observation

泣き崩れたペテロに同情する。

僕だって、自分が疑われて命の危険が迫ったらきっと、イエス様を知らないと言ってしまう。

知らないと言ってしまうことがいけないのではない。

ペテロはあれだけ威勢よく自分は絶対に裏切らないと誓ったのにも関わらず、いとも簡単に裏切ってしまった自分に涙した。

でも、ペテロだけ責めることはできない。

50節

「皆は、イエスを見捨てて逃げてしまった。」

弟子たちは皆、イエス様を見捨てて逃げてしまったのだ。

Application

イエス様にどこまでもついて行きます。

そう誓ってなお、窮地に立たされると自分の決心が問われる。何があっても従い通すというのは、実は並大抵のことじゃない。なぜなら、自分の思うままに生きた方が楽なこともあるし、逃げた方が簡単なことだってあるからだ。イエス様に従いつづける道は、平安の道だけじゃなく、時にいばらの道を通る。嵐を通る。そのようなピンチに直面した時に、一番、僕自身の信仰が試される。

それでもイエス様に従っていくんだという決心を問われるのだ。

だからこそ今日のペテロの姿に妙に心惹かれる。

ペテロの姿は決してカッコ良くはない。なんだかなあと思える言動が多い。だけど、怒ったり、口が先に出たり、泣いたりとイエス様に従う人生の中で一喜一憂している彼の姿は妙に人間臭くていい。決して着飾ることなく、イエス様に必死についていこうとする信仰者の姿である。世の中では、こうした一度でも失敗したものは落第者である。下手をすると落ちこぼれと言われ、なかなか表舞台には立てない。だけど、イエス様の目には違う。

他の福音書では、イエス様はペテロの信仰がなくならないように祈ってくださっている。

イエス様は他の誰よりもペテロの弱さをご存知だった。知っていてなお、彼を愛し、彼のために祈られる。

僕のためにもイエス様は祈ってくださっている。

信仰がなくならないように。

もう一度、立ち上がれるように。

誘惑に負けないように。

心折れないように。

従い通せるように。

けど、これはペテロのようにがむしゃらに、着飾ることなく生きる中で気づくのだろう。威張る必要もない。カッコ良く見せる必要もない。イエス様のありのままで向き合っていこう。

Prayer

愛する天のお父さん

あなたの前で着飾る僕を許してください。あなたの前で正直でいられますように。よく怒り、よく妬み、自分勝手です。そんな僕を愛してくれてありがとう。ありのままであなたの前に出ていきます。どうか、今日、僕をあなたのように変えてください。僕のために祈っていてください。そう弱さを出せるものとなれますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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