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「永遠を見据える視点」

Topic:希望、落胆、視点

 

Scripture(聖書)

ですから私たちは、いまえるもの、すなわち身の回りの苦しみには目をとめません。むしろ、今はえない天にある喜びを望みているのです。苦しみは、やがて消え去ります。しかし、その喜びは永くのです。

(第二コリント4:18 リビングバイブル)

 

 

Observation(観察)

パウロ達を落胆させることがあった。

しかし、パウロはその落胆を打ち消すかのように何度も何度も

 

1・・・ですから、私たちはして落胆しません。

16 ですから、私たちはして落胆しません。

 

と語る。

なぜ落胆しないでいられるのか?・・・

パウロの視点が違うからだ。

 

①今見えるもの(身の回りの苦しみ)に目をとめない。

・苦しみはやがて消え去る

 

②今は見えない天にある喜びを望み見ている。

・天にある喜びは永遠に続く。

 

 

Application(適用)

視点、目線・・・これはありとあらゆることで大切になってくる。

例えば、今僕はバイク教習所に通っているが、目線はかなり重要だ。

それは自らの安全を確保するのはもちろんのこと、周りにも安全をもたらすためである。

 

よそ見は一番の交通事故のもと。

 

人生においてもどこに目を向けているのかだ大事だ。

目の前の現実をしっかりと見据え、受け止めることも大事だが、信仰者はさらにその先を見据えるのだ。

 

人生には落胆させるようなことが次から次へとやってくる。

また、自分の心の中でも過ぎた過去にいつまでも引きづられて落ち込んでしまったりもする。

 

もっと上手くやれたはずだ・・・

なぜ、あそこであんなことをしてしまったのか・・・

 

そのような思いは責任転嫁にまで発展しかねない。

しかし、信仰者の視点はそうではない。

 

天国思考で永遠に目を向ける。

それは現実から目を逸らすという意味ではない。

現実はしっかりと受け止め、改善すべき点は謙虚に改善をし、成長を目指す。

必要以に落胆することは避けるべきなのだ。

必要以上に落胆することは永遠の喜びをかすませる。

 

だから目の前に苦しい現実があっても、その先を信仰によって見据えるのだ。

天国を見据えるのだ。永遠を見据えるのだ。

それは信仰によってのみ可能となる。

 

今日はHope StudioでのPastors Meeting。

この場所が使えるのもあと1週間半。

コロナ禍で与えられたこの場所もアフターコロナのシーズンにはあまり必要がなくなる。

もっと賢い用い方があったのかもしれないが、上手く活用しきれなかったという反省が残る。

こういったことは経験値として積み重なるのだから決してマイナスに捉えていないが、悔しい思いもある。

しかし、落胆することを選ばない。

その先を信仰の目で見据えることを選ぶ。

 

この地上でどんなに苦しみ、試練、落胆させるようなことがあっても、何人たりとも天にある希望と喜びを奪うことはできない。

 

この喜びは永遠に続くのだから。

 

 

Prayer(祈り)

主よ。

春らしい爽やかな日を感謝します。

Hope StudioでのPastors Devotionも残りわずかです。

コロナ禍で与えてくださったこの場所を感謝します。

毎週のように緑豊かなこの場所でDevotionできたことを感謝します。

次のシーズンもあなたに期待します。

今日は特に若いリーダーたちとDevotionできることを感謝します。

この若い主のしもべたちの献身を祝福してください。

パウロが告白するように、落胆しません。

天にある喜びを望み見る信仰の視点をいつも与えてください。

そしてこの喜びを分かち合い、伝える者とならせてください。

希望の主、イエス様の名前でお祈りします。アーメン

 

 

 

 

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