Topic:イエス様、受難、自由
Scripture(聖書)
そしてイエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。
(マタイ27:2 新改訳2017)
So they bound him, led him away and handed him over to Pilate the governor.
(Matthew27:2 NIV)
Observation(観察)
まさにイエス様が十字架を背負わされていく受難日のシーン。
その日の朝、イエス様は縛られて、総督ピラトに引き渡された。
Application(適用)
イエス様を亡き者にしようとする闇の力が強く働き、誰の目にもその力の方が優勢に見える。
なんせ、イエス様は縛られていたのだから。
すべての人を縛る罪の力を一手にイエス様は、その身に引き受けてくださったのだ。
しかし、不思議だがイエス様は縛られているのだが、縛られていないようにも見える。
愛することにおいて自由。
赦すことにおいて自由。
祈ることにおいて自由。
縛られているようでいて、縛られていない。
このイエス様の姿に憧れ、このイエス様のような生き方をしたいと強く願う。
他人の目なぞ、どうでも良い。
他人の評価など、どうでも良い。
イエス様は「ユダヤ人の王様、ばんざーい!」とイジられ、ディスられた。
つばをかけられ、葦の棒で頭も叩かれた。
イジメられた経験がある人は多いと思う。
しかし、つばをかけられるような侮辱を経験をしたことがある人はそう多くないかもしれない。
それだけの侮蔑をイエス様は受けられた。
普通なら、やり返してやりたいという復讐心に縛られるだろう。
出来ることなら、自分に土下座して謝罪させてやりたいという思いに縛られるだろう。
しかし、イエス様はそのような復讐心にも縛られない。
これがイエス様の生き方。
そして、イエス様を信じる者の生き方である。
誰がなんと言おうと、自由。
愛することにおいて自由。
赦すことにおいて自由。
祈ることにおいて自由。
縛られているようでいて、縛られない生き方がある。
このイエス様の生き方を今日も模範とし、目指していく。
Prayer(祈り)
主よ。
忙しくも充実したGW、天国を近くに感じるGWを過ごし、今日はいつも通りNHY Pastorsと共にDevotionできることを感謝します。
改めてイエス様の受難のシーンを読み、己の罪深さを突きつけられ、それでもなお私たちを愛し、赦し、救おうと十字架に向かわれた主の愛を想い、感謝します。
私たちを縛ろうとする闇の力があります。
しかし、イエス様は何ものにも縛られず、自由でした。
愛すること、赦すこと、祈ること。イエス様は自由でした。
そのイエス様の生き方に倣い、どんなに縛られても、上を見上げて、朗らかに、賛美しながら、歩ませてください。
救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン