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「イエス様のため息」

Scripture

11その地方のパリサイ人たちはイエスが来たと知り、議論をふっかけてやろうと、勇んでやって来ました。「奇跡を見せたらどうだ。天から不思議なしるしが現れでもしたら、あなたを信じようじゃないか。」

12このことばに、イエスは思わず、ため息をおつきになりました。「いったいどれだけ奇跡を見れば気がすむのですか。」

マルコの福音書8:11−12 リビングバイブル訳

Observation

イエス様は1度目に、5千人を5つのパンと2匹の魚でお腹いっぱいに満たした。そして。2度目は7つのパンで4000人を満腹させた。幾度もイエス様の奇跡を目の当たりにしたにも関わらず、人々は、まだ「奇跡」を求め、天からのしるしを求めた。

なぜなら、もっと奇跡を見せるなら、「信じようじゃないか」とパリサイ人たちは言うのだった。

イエス様はこれに対して「ため息」をつかれた。

Application

パリサイ人たちは奇跡を見せれるなら信じると言った。

なぜ、僕たちは奇跡を見ないと信じられないのだろうか?疑うトマスにイエス様は言われた。「見ないで信じるものは幸い」であると。しかし、「信仰は望んていることがらを保証し、目には見えないものを確信させるものです。」とヘブル人への手紙11章で語られている。

見えない一歩を神様を信じて踏み出す時に、奇蹟を体験する。

これは昨日の日曜礼拝でアーサー先生が語られていたことである。

奇蹟を見たから信じるのか?それとも信じて一歩踏み出して、主の奇蹟を体験するのか?僕はどちらかというと、パリサイ人のようである。奇蹟を見ないと信じられず、何かが起こってからでないと動き出せない。信仰が薄く、なんとも受け身である。だけど、信仰はもっと大胆だ。一歩踏み出して主の奇蹟を体験していくものでありたい。しるしばかりを求めて、自分が一歩信じて踏み出すことを止めないようにしたい。イエス様はすでに奇蹟をなされた。

イエス様に不可能はない。奇蹟を起こされる主がいるのだ。

この方を信じて、一歩踏み出すものとなっていきたい。

Prayer

天のお父さん

僕が今、あなたを信じて一歩踏み出せていないことは何でしょうか?いっぱいあると思います。僕は臆病だし、疑ってばかりです。そして、言い訳をしてばかりです。どうか、言い訳せず、疑わずに奇蹟を起こされるあなたを信じて一歩踏み出せますように。あなたの奇蹟を体験したいです。見せてください。聞かせてください。教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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