Topic:パウロ、バルナバ、第一回伝道旅行、迫害、宣教
Scripture(聖書)
それにもかかわらず、二人は長い間そこに滞在し、大胆に宣教を続けたのです。主は、すばらしい奇跡を行わせ、二人のことばが真実であることを証明なさいました。
(使徒14:3 リビングバイブル)
それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った。主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みのことばを証しされた。
(使徒14:3 新改訳2017)
Observation(観察)
パウロの第一回伝道旅行中の話。
場所はイコニオム。ユダヤ人も外国人も大勢が神を信じた。
こういう場合決まって反対勢力も起こされる。
しかし、神のことばを軽んじるユダヤ人たちは、根も葉もないことで二人を中傷し、人々の不信をかき立てました。
(使徒14:2 リビングバイブル)
嫌がらせなど誰にとっても心地よいものではない。
それに不要は衝突は避けたい。
宣教の成果もあったわけだし、イコニオムを離れて次の宣教地に向かうという選択肢だってあったはずである。
しかし、パウロとバルナバはイコニオムを離れず、とどまる決断をした。
ただとどまる決断をしただけではない。ますます大胆に宣教を続けたのだ。
それにもかかわらず、二人は長い間そこに滞在し、大胆に宣教を続けたのです。
その結果、何が起こったのか?・・・
①すばらしい奇跡が起きた。
②恵みのことばを証しされた。
Application(適用)
悪意渦巻く迫害。
いわれのない誹謗中傷の嵐。
誰がそこにとどまりたいと思うだろうか?
普通ならば一刻も早くその場所を立ち去りたいと願うのでは?
しかし、パウロとバルナバは離れなかった。とどまった。
「それにもかかわらず・・・」。
その選択はさらなる宣教の実りを生み出した。
なぜ、彼らはとどまることが出来たのか?
それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。
(使徒14:3 新共同訳)
新共同訳では「主を頼みとして勇敢に語った」と訳している。
迫害、誹謗中傷が彼らの行動基準ではなかった。
どこまでも「主を頼みとすること」。
つまり、主に呼ばれた場所で、主に召された場所で、主に遣わされた場所で宣教の働きをすることが彼らの使命であるわけで、迫害など眼中にないのだ。
迫害や困難が宣教を止める理由にはならない。
厳しい迫害はないけれど、NHYも困難を迎えている。
そもそも困難のない教会などないのかもしれないが。
しかし、大事なことはいかなる困難を前にしても「主を頼みとして」宣教の働きを続けることである。
Prayer(祈り)
主よ。
気持ちいの良い爽やかな火曜日の朝を感謝します。
パウロ、バルナバの第1回伝道旅行の様子から教えてくださり感謝します。
幾千年の時を超えて、彼らの宣教の情熱が伝わってくるようです。
主よ、宣教の情熱を熱く燃やしてください。
いかなる困難の中でも主を頼みとして宣教の働きをなす者、そのような教会とならせてください。
個人的にも、教会的にも困難があります。それでもなお、あなたを信頼します。
あなたを愛します。
宣教の主イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン