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「とことん助ける」

Topic:愛(福音)   Scripture(聖書) あなたがたは、私を助けるためなら、自分の目をえぐり出してもかまわないとさえ思ってくれたではありませんか。 (ガラテヤ4:15 リビングバイブル)     Observation(観察) パウロの手紙。 パウロが愛するガラテヤ教会の兄弟姉妹が律法的な生き方に逆戻りしていることを憂い、危惧している。そして、再び福音が示す本来の生き方を提示している。   かつてのガラテヤ教会の生き方は、強烈なまでの愛に生きていた。 例えば、パウロを助けるためなら、自分の目を犠牲にできるほどであった。     Application(適用) ちょうど、先日の日曜礼拝でシオリがガラテヤ書からメッセージを語ってくれた。 初めての礼拝説教であったが、実に堂々と福音を語りきった素晴らしいメッセージであった。   福音に生きるということは、愛に生きるということである。 愛に生きるということは、イエス様の十字架が示したように強烈である。 命がけである。   かつてのガラテヤ教会の方々の愛も強烈であった。 自分の目をえぐり出してもかまわないほどの愛。   昨日から箱根入りしている。 Austin & Mayuの結婚式のためである。 キャンプ場での結婚式である。 結婚式前日にキャンプファイヤーをするというのも初めての体験であった。   愛する二人のために、ある人は仕事の休みを取り、ある人は北海道から、ある人は九州から駆けつけている。 キャンプ場での結婚式を可能とするために、機材の搬入、セットアップ等、喜んで犠牲を払っている。 結婚する二人を心から愛するがゆえである。 教会の中にこのように愛が育っていることを嬉しく思う。   ガラテヤ教会の面々はパウロを助けるためなら、自分の目をえぐり出せるほとの、犠牲愛を持っていた。中途半端な愛ではない。 誰かを助けようとするなら、とことんすることである。 中途半端ではなく、「とことん」である。 ここまでするのか!?という驚嘆の愛である。   ハワイのNew Hope Oahuで1年間インターンをした時に、驚かされたのはまさにこの「とことん助ける愛」である。 口先ではない、行動が伴う愛。 それも半端ではない、とことん犠牲を払う愛である。 「Spirit of Aloha」とも言える、その愛が牧師や一部のリーダーではなく、教会全体に浸透していた。 そして、その愛は日本から来て、大して英語も分からない僕にまで向けられた。   僕もこういう愛を持つ信仰者、牧師、リーダーになりたいと心から思わされた。 しかし、人間は自己中心である。 いつの間にか、愛が小さく、しぼみがちなのである。 自分の目を犠牲にすることを忘れ、痛くも痒くもない程度の愛しか示していないことのなんと多いことか。   ①愛のなさを(自己中心)を悔い改める   ②愛の源である主を見上げる   ③愛を祈り求める   ④目の前の1人をとことん助け、愛する     Prayer(祈り) 主よ。 箱根で迎える朝を感謝します。 生けるみことばを感謝します。 かつてのガラテヤ教会にはパウロを助けるためなら自分の目さえ惜しまずに犠牲に出来るほどの愛がありました。 主よ、徹底的に助ける、とことん助ける、命がけで助ける、そのような心を僕にも与えてください。 イエス様が十字架で示してくださったように、命がけで人を愛する者とならせてください。 今日は愛するAustin & Mayuの結婚式です。 カナの婚礼のように、神の栄光のあらわれとしてください。 愛と喜びが満ち溢れる結婚式となりますように。 夫婦となり新たな歩みを始める二人の上に格別なる主の守りと祝福をお与えください。 また、昨日から泊まり込み、この結婚式のために喜んで犠牲を払い、奉仕してくださっているお一人お一人を祝福してください。 愛する救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン        

「大金<少額!?」

Topic:献身(献金、信仰、心)   Scripture(聖書) 41それから、神殿の献金箱のそばに座り、人々がお金を投げ入れる様子をじっと見ておられました。多くの金持ちが気前よく大金をささげているところへ、 42みすぼらしい身なりの未亡人がやって来て、そっと小額の硬貨二枚を投げ入れました。43-44それをごらんになったイエスは、弟子たちを呼び寄せて、こう言われました。「あの貧しい未亡人は、どの金持ちよりも、はるかに多く投げ入れたのです。金持ちはあり余る中からほんの少しばかりささげたのに、この女は、乏しい中から持っている全部をささげたのですから。」 (マルコ12:41-44 リビングバイブル)   41それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。42そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。43すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。44みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」(マルコ12:41-44 新改訳)     Observation(観察) [2タイプの献金] ①大金 ②少額(レプタ銅貨2つ)   これは見た目と実際の額、数字の話。 しかし、主は心を見られる。   [主から見た2タイプの献金] ①あり余る中からほんの少しささげる献金 ②持っている全部。あるだけ全部。生活費の全部。   そして、少額だったが、実は彼女の全財産ささげた貧しいやもめこそ、誰よりもささげたのだとイエスさまは評価された。   普通は・・・大金>少額 しかし、イエス様の見方は・・・大金(金持ちのほんの少し)<少額(貧しいやもめの全て)   Application(適用) NHYで開拓初期から賛美してきた曲の1つが「Lord I give You my heart」。   Chorus(サビ)ではこのように歌う。   Lord, I give You my heart I…

「不信仰な私をお助けください」

Scripture  イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」 マルコの福音書9:23−24 新改訳2017 Observation  霊に取り憑かれた息子を救ってくださいと父親は助けを求めにやってきた。しかし、弟子たちにはどうすることもできなかった。その状況を見て父親はげんなりする。それでなのか、イエス様に向かっても「もし、できるなら」と半身疑っていた。 しかし、イエス様は「できるなら、と言うのか。信じるものにはどんなこともできる」と言われた。 Application  イエス様に「信じる者にはどんなこともできる」とズバッと言われた父親はどうしたか。 「不信仰な私をお助けください」 自分は不信仰ですと告白した。 僕にできるだろうか? 僕なら言い訳をする。 いや、自分が不信仰なのではなく、あなたの弟子たちが不信仰だから癒されなかったんですよと絶対に文句を言う。そして、これまでに何をやっても無理だったからかこそ、父親の心にはどこか「もし、おできになるのなら」という思いだったのではないだろうか。 どんなに願い、どんなに試みても上手くいかないことがある。思う通りにいかないことがある。挑戦あるのみなのかもしれないけれど、どこかで僕たちの心は折れかける。誰にもどうすることもできないことがある。 しかし、イエス様にできないことはない。神様に不可能はない。 そのことを疑い、信じ切れていないどこかに自分がいる。 僕は、それなのに「私は不信仰です」と告白すらできない。言い訳し、また言い訳する。 この父親のように自分の不信仰さ、弱さを正直に神様に告白して「助けてください」と言える者でありたい。 できるならやってみろと神様に祈るものではなく、「助けて欲しいんです」と素直に祈れるものでありたい。 Prayer 愛する天のお父さん 僕は強情です。言い訳がましいです。でも、自分の中に疑いがあり、カケがあると認めてこの父親のように「僕は不信仰です、助けてください」と素直にあなたに祈るものとなれますように。あなたに不可能はないと信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。