Topic:自然界(神)
Scripture(聖書)
世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。
(ローマ1:20 新共同訳)
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
(ローマ1:20 新改訳)
世界が創造されてからこのかた、人々は、天地や、神がお造りになったすべてのものを見て、神の存在とその偉大な永遠の力をはっきり知っていました。ですから、彼らには弁解の余地がありません。
(ローマ1:20 リビングバイブル)
Observation(観察)
パウロの手紙。
神を神と認めず、信仰を否定する人たちがいた。
そこで、パウロは神を否定できない現実を突きつける。
①自然界を見れば一目瞭然で神の性質、力が示されている。
②自然界を通して神を知ることができる。
③弁解の余地はない。
Application(適用)
とても好きな聖書の箇所である。
何度読んでも「そうだよなぁ」と唸らされる言葉である。
僕は自然が好きだ。
7〜10歳までの3年間をアフリカのタンザニアで過ごした、ということも大きく影響しているように思う。
あの広大な大自然を見て興奮しない人はいないのではないだろうか。
カリフォルニアのヨセミテに行った時も神の創造のすごさを肌で感じて、大興奮して、感動した。
ハワイで毎日のように何度も何度も見た虹にも毎回感動した。
人は大自然を前にすると問答無用に感動するのではないか。
昨日は家族で箱根に行ってきた。
平日の月曜日だから、空いているかと思いきやかなり混んでいた。
やはり、考えることは同じで箱根の山、そして見事に色ずいている紅葉が目的なのだろう。
数ヶ月前には青々と茂っていた山が黄色く、また紅く染まるのは自然の不思議である。
箱根といえば定番の大涌谷の黒たまごを食べて、その後に長女のリクエストで「ガラスの森美術館」に行った。
初めて行ったのだが、ヴェネチアングラス専門の美術館であり、かなり古いものから、近代的なモダンなものまで展示してある。
またガラスアートが散りばめられている美しい庭園も楽しい。
クリスマスシーズンということもあってクリスマスなムードも心地いい。
しかし、後で思ったのはこの自然界は神の美術館ではないか。
美術館は入館料がかかるものだが、神の美術館には料金がかからない。
神は惜しげも無く、ご自身のアートを大盤振る舞いで披露してくれている。
いつもは湘南の海から見える富士山も、箱根から見るとまた一味違っていた。
その自然界を通して神を知ることが出来るとパウロは語る。
昨日も多くの人が箱根の山を訪れていたが、どれだけ多くの人が神を知ることが出来たであろうか。
日本は四季があり、山もあり、海もあり、自然が美しい国である。
願わくは、この国に生きる人たちが自然界を通して神を知ることができますように。
僕はもっと神を知りたい。自然界を通して、聖書を通して。
Prayer(祈り)
主よ。
あっという間に11月も最終日を迎えました。
昨日は美しい箱根の山に家族で行くことができました。
あなたの美しいアートを堪能しました。感謝します。
願わくは、この国に生きる人たちが、自然界という神の美術館を通して、あなたの美しいアートを通して、あなたを知ることができますように。
特に紅葉が美しいこのシーズンを通して、神を知る人が一人でも起こされますように。
救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン
Scripture
テモテよ。私はあなたのことを、どんなに神に感謝しているか知れません。毎日、あなたのために祈り、長い夜も、何度となく思い出しては、どうかあなたに祝福があるようにと願い求めています。先祖たちが真心をもって仕えてきた神は、私の神です。そして、この神に喜んでいただくことだけが、私の生きがいなのです。
2テモテ1:3 リビングバイブル訳
Observation
教会の問題に疲れ切っていたテモテ。
偉大なパウロ先生と自分を比較してなお落ち込むテモテ。
そんなテモテを知ってか知らずが、パウロ先生は愛する教え子に手紙を送ったのだ。
その冒頭は、「愛する子テモテ」
愛してやまないテモテであること。
そして、彼のために毎日、新改訳聖書では夜昼と祈っているとある。パウロの真実なる愛情に感動する。
Application
落ち込んで、もうダメだと思っていたテモテは驚いたことだろう。
あのパウロ先生が、自分を愛する子と言ってくださる。
あのパウロ先生が、自分のために毎日、欠かすことなく祈り続けてくださっている。ああ、自分はどれほど愛されているだろう。
テモテの心を覗いて見たいものだ。
かくいう僕も信仰の先輩たちに愛され、祈っていただいてきた。
どんな時の自分も受け止めてもらい、愛されてきた。
特にここでパウロは、テモテのことを片時も忘れることなく祈っている。このような愛情が他にあるだろうか?
苦しい時に自分のために祈ってくれる人がいなら、勇気100倍だ。
パウロのように、若手のために祈るものでありたい。
彼らをとことん愛する者になりたい。
いや、誰かのためにもっと祈る者でありたい。
組織として教会形成はとても大切である。だけど、それ以上に大切なことがある。それは主イエスが教えてくださったこと。
神を愛すること。
人を愛すること。
愛に勝るものはないのだ。
Prayer
愛する天のお父さん
パウロの深い愛情に感動します。テモテが羨ましいほどです。でも振り返ると、どれほど僕も祈られ、愛されて来たでしょう。いや今でもそうです。どうか、僕もパウロのように誰かのために祈り続けるものになれますように。とことん、全身全霊で愛せる者になれますように。あなたの愛を教えてください。至らない僕のためにとりなして祈ってくれているイエス様、本当にありがとう。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。
So the women hurried away from the tomb, afraid yet filled with joy,…
Topic:イエス・キリスト、十字架、愛
Scripture(聖書)
そのとき、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に、十字架につけられていた。
(マタイ27:38 新改訳2017)
その朝、強盗が二人、それぞれイエスの右と左で十字架につけられました。
(マタイ27:38 リビングバイブル)
Observation(観察)
神の御子であるイエス様が十字架につけられた。
何一つ罪のないお方イエス様が十字架につけられた。
人々を助け、癒し、愛したお方イエス様が極悪非道の犯罪者たちと並んで十字架につけられた。
Application(適用)
イエス様の公生涯はバプテスマのヨハネから洗礼を受けられたことからスタートした。
罪の悔い改めのためのバプテスマを受ける列にイエス様は並ばれた。
一切罪のないお方なのに。
そして、地上の生涯の最後も罪人、それも極悪非道の犯罪者たちと並んでイエス様は十字架に磔にされたのだ。
私たちの神は見下ろす神ではない。
徹頭徹尾、すべての罪人の友となり、隣に来て、寄り添ってくださる神なのだ。
イエス様の生き方は、「すべての罪人」を救うため。
そのために、最も高くあげられるべきお方なのに、自ら最も低くなられたのだ。
イエス様の眼差しに差別も偏見もない。
誰もが見捨てても仕方ない罪人の横に並んでくださったのだから。
今朝、改めてイエス様の愛に圧倒されるのだ。
なぜか?・・・イエスの横で十字架につけられた極悪非道の罪人とは、まさに僕自身だからだ。
この僕を救うために生まれてすぐに飼い葉桶に寝かされたばかりか、十字架の隣にまで来てくださったのだ。
イエスの愛は・・・
①どんな罪人をも救う愛
②差別・偏見のない愛
③諦めない愛
Prayer(祈り)
主よ。
爽やかな11月最後の土曜日の朝を感謝します。
今朝、改めてイエス様の十字架に圧倒されます。
そこに込められている愛に圧倒されます。
主よ、愛されていること、赦されていることを感謝しつつ、その愛に倣い、またその愛を伝える者とならせてください。
この小さき者を、そしてNHYを主の愛を証するために用いてください。
明日からアドベント(待降節)に入ります。
一人でも多くの方々がクリスマスの本当の意味を受け止め、永遠のクリスマスプレゼントを受け取ることができますように。
そして、十字架の愛を知ることができますように。
救い主イエス様の名前で祈ります。アーメン
Scripture
“Because of the increase of wickedness, the love of most will grow…
Scripture:
“Jesus said, “You faithless and corrupt people! How long must I…