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「主を喜ぶことこそ、私たちの力」

Topic:力   Scripture(聖書) 9律法がどのように命じているかを理解すると、人々はみな泣きだしました。それで、エズラをはじめ、総督の私や補佐役のレビ人たちは、こう言い聞かせました。「このような日に泣いてはならない。きょうは神である主の聖なる日ではないか。  10ごちそうを食べてお祝いし、貧しい人には施しをする日なのだ。神である主を喜ぶことこそ、あなたがたの力なのだ。しょんぼりと悲しそうにしていてはいけない。」  (ネヘミヤ8:9-10 リビングバイブル)   8しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」 (使徒1:8 リビングバイブル)     Observation(観察) 崩れていた城壁はネヘミやのリーダーシップのもと、見事に再建された。 しかも、内外からの攻撃があったにも関わらず驚くべきほど、短期間で完成した。 しかし、もっと必要な再建は霊的な再建、信仰の再建であった。   人々のリクエストで水の門の前の広場でエズラが聖書朗読を始めた。 エズラが聖書を開くと「人々はいっせいに立ち上がり、理解できる者は熱心に耳を傾けました」(5節)。   座ったのではない。一斉に立ち上がったのだ。 このシーンを想像すると鳥肌が立つ。 みことばに対する飢え渇き、そして神を畏れる心があらわれている。   この大リバイバル集会と言っても過言ではない礼拝で、エズラが語った言葉の1つが有名な・・・   神である主を喜ぶことこそ、あなたがたの力なのだ。     Application(適用) クリスチャンになりたての頃、よく賛美していた曲の歌詞を思い出す。   主イエスを喜ぶことは あなたの力です 感謝をささげることは あなたの力です 朝に夕に とこしえまでも 王なる主をたたえましょう 朝に夕に とこしえまでも 王なる主をたたえましょう   当時、まだネヘミヤ記など一度も読んだこともないし、そんな書が聖書にあることすら知らない(笑)。 しかし、この賛美が「主を喜ぶことが私の力なのだ」とシンプルに教えてくれた。 賛美って偉大だなあ。   誰もが自分の非力さ、無力さを覚えることがあるだろう。 特に、99%がノンクリスチャンと言われる、日本において信仰者であるはずの自分の無力さに打ちのめされるようなことがあるだろう。   しかし、聖書は語る。   主を喜ぶことがあなたの力である、と。   また十字架の死からよみがえられたイエス様は弟子たちに・・・   8しかし、聖霊があなたがたに下る時、あなたがたは大きな力を受け、エルサレムからユダヤ全土、そしてサマリヤから地の果てまで、わたしの死と復活を伝える証人となります。」 (使徒1:8 リビングバイブル)   と語られた。   ①私たちの力の源は主にある。   ②今日、主を喜ぼう。   ③聖霊に満たされることを祈り求めよう。     Prayer(祈り) 主よ。 私たちの力の源はあなたにあります。 己の内には力ではなくて、弱さしかないのです。 それゆえ、ただあなたにより頼みます。あなたを信頼します。あなたを求めます。 そして、今日あなたを喜びます。 あなたに愛されていること、ゆるされていること、選ばれていること。 神の子とされている、あなたとの関係を喜びます。 そして、聖霊に満たされることを求めます。 主よ、満たしてください。 救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン              

「ハレルヤ!」

Topic 賛美 Scripture ハレルヤ。わがたましよ。主をほめたたえよ。 詩篇146:1 新改訳2017 Observation  「ハレルヤ!」 この一言で始まる詩篇146篇 そして、最後も「ハレルヤ!」で閉じる。 詩篇作者の確固たる決意は、生涯、人生をかけて賛美し続けますと告白するのだ。 Application 今日はドラマ聖書のアプリを用いて聖書を開いた。 詩篇146篇に来ると、開口一番「ハレルヤ!」と力強い声が響いた。 心にジンときた。 自分の口からは何が出ているだろうか? 僕の人生からは賛美が流れているだろうか? 近頃は、不平不満、妬み、怒り、そんなんばかりだ。 イエス様に救われて、賛美の人生へと招かれたにも関わらず、僕の人生から賛美は流れているだろうか? ハレルヤよりも違う言葉が流れていないだろうか。 それは周りの人を不快にし、次第に僕を蝕んでいく。 1、心を再点検しよう 2、神様に望みを置く(詩篇146:5) 3、賛美の人生へと招かれている Prayer 愛する天のお父さん イエス様に出会う前の僕の人生は、今よりもっと暗くて、根暗でした。でも、イエス様に出会って全く違う人生に招かれました。救い主イエス様を賛美し続けたい。ハレルヤと告白する作者のように、この人生を通してあなたをほめたたえ続けます。あなたが与えてくださった賛美の人生を歩みます。イエス様が希望です。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。ハレルヤ!

「仲良く暮らすこと」

Topic:愛(一致)   Scripture(聖書) 1兄弟たちがいっしょに仲良く暮らすことは、なんと楽しく、なんとすばらしいことでしょう。 2仲良く暮らすことは、頭に注がれた香り高い油のように尊いことです。アロンに注がれた香油はひげに流れ落ち、服のえりにまでしたたりました。 3仲良く暮らすことは、ヘルモン山やイスラエルの山々に降りる露のように、新たな息吹を呼びさますのです。こうして、主はイスラエルに、永遠のいのちの祝福を与えると約束なさったのです。 (詩篇133:1-3 リビングバイブル)     Observation(観察) わずか3節の短い詩篇。 リビングバイブルでは1−3節、その全ての節に「仲良く暮らす」という言葉が入っている。   仲良く暮らすことは・・・   ①楽しい   ②素晴らしい   ③尊いこと   ④新たな息吹を呼びさます。       Application(適用) 新改訳2017では・・・   1見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって ともに生きることは。   「一つとなること」、「一致すること」の幸いを歌っている。 リビングバイブル訳のようにくだけた表現では「仲良く暮らすこと」、それは、実に素晴らしい。   箴言17:1はこう言っている。   ごちそうがあっても毎日争いごとがある家より、たった一切れのパンを仲良く食べる家のほうが幸せです。(箴言17:1 リビングバイブル)   「仲良く暮らすこと」の幸いは物質的な豊かさをはるかに凌駕するのだ。 しかし、その一方で、「仲良く暮らすこと」はなんと難しいことか。   実の血の繋がりのある家庭でも諍いがあるし、絶縁だってある。 殺人にまで発展することすらある。 神の家族と言われる教会でも仲違いすることもあるし、エスカレートして分裂することさえある。   罪の性質のゆえであるが、悲しい現実である。 10代の頃、通っていた教会では普段、「兄弟」「姉妹」と互いに呼び合う信仰の大先輩達が礼拝の直後に行われる会議において、互いをののしるかの如く、激しく言い争う姿を見せられた。 これが使徒信条で「聖なる公同の教会」と告白した教会の姿なのか!?と高校生ながら愕然としたことを覚えている。   なぜ愛である神を信じる信仰者たちがこうなってしまうのか!?と悲しく寂しい思いをした。   結局、人は自己中心である。 プライドがあり、自己正当化し、自分が正しい、自分が義であることをどこまでも主張するのである。 「仲良く暮らすこと」よりも己の義を主張することに価値を置きがちなのだ。 なんと愚かしいことだろう。しかし、残念ながら、それが自らも含めて人間の性質なのだ。   その一方で、先日ある方が「あなたに苦々しい思いを抱いていました。私をゆるしてください。」と告白してきた。 確かに、このところ疎遠になっていたが、こちらは何の苦々しさも持っていない。 それでも、関係の回復のために勇気をもって告白してくださったことを感謝し、互いに祈り合うことが出来た時間は尊いものであった。   伝道者の書3:8では・・・   愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦いの時があり、平和の時がある。(伝道者の書3:8 新改訳2017)   願わくは愛する時が増えて、憎む時が減ってほしい。 ①自らの罪深さを認め、悔い改める。   ②愛を祈り求める。   ③仲良く暮らすことに価値を置く。   ④十字架の主を見上げる。(徹底的な献身とゆるし)     Prayer(祈り) 主よ。 仲良く暮らすことの素晴らしさを聖書は語ります。 しかし、人間の現実は実の家族であっても、あるいは信仰者であっても、愛とは真逆の争いや憎しみに支配されることがあります。 主よ、あわれみたまえ。 罪深い人間、そしてこの世界をあわれんでください。 真の豊かさに目が開かれ、互いに愛し合い、仲良く暮らすことに価値を置くことができますように。 ダビデが「なんという幸せ!」と歌った、その幸いを味わうことができますように。 僕の家庭が、教会が、この世界がキリストの愛に満たされますように。 救い主イエスの名前で祈ります。アーメン