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レースの終わりに焦点を置きながら

S
けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、
神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。
使徒の働き 20:24

O
新約聖書の半分を書き、異邦人への伝道の扉を開いた人物であるパウロ。
そんな素晴らしいことを神様に任されて、
パウロの心は燃えるような情熱、わくわくに満ちていたのではないだろうか?

しかしルカが書き残したことを読むと、果たしてどうだったのだろうか?と考えさせられる。

ルカによると、パウロはこう言った。

「ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。」
使徒の働き 20:23

パウロが福音を伝える町々で、聖霊によって示されたことは
「鎖と苦しみが待っている」
であった。

しかしパウロはこう続ける。
「けれども」

鎖と苦しみがパウロを待っていた。けれども…
彼は自分の走るべき道のりを走り尽くすならば
福音を証しするというイエス様からの任務を全うできるならば
自分のいのちを少しも惜しいと思わなかった。

先に待つのは鎖と苦しみ。
しかしそれはレースの途中。終わりではない。
彼はレース中の困難や苦しみに焦点をあてるのではなく
そのさらに先、彼が走り切った後に待つ光景を見据えていた。

だから彼は最後まで力強く走りきれたのだ。

A
僕達はどんな人生のレースを走っているだろう?
オリンピックのようなレースになればなるほど、
そのレースの中には困難や苦しさがあるだろう。

しかし苦しさや困難ばかりに心が向く時、
僕達はそのレースを走ることを諦めてしまったり、
もっと結果が問われない楽なレースを走ることを
選んでしまったりするのではないだろうか?

もし僕がそのようなレースを走ることを選ぶなら、
最後ゴールテープを切った時、どう思うだろう?
僕はそこで悔いる思い持って立ち尽くすだろう。

僕は主イエスから受けた神の恵みの福音を証しするというレースを走るように召されている。
僕がこの与えられたレースを走る中、
困難や苦しさを感じて心挫けそうになる時、
なんのために走っているのか、どこに向かって走っているのか、
走り切った先になにが待っているのか、そのことを思い起こしていこう。

P
愛する天のお父さん、あなたの御名を賛美します!
聖書を読む時、イエス様や、レースを走り切ったパウロのような信仰者の姿にとても励まされます。
僕も同じように自分に与えられたレースを走り抜きたいです。
しかしながら人生のレースには、困難や痛みの区間もあります。
そのような時、主よどうか僕がその場所にある困難や痛みに焦点を置くのではなく、
あなたから委ねられた尊いいのちのためにこのレースを走っていることを思い起こさせてください。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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