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神様にある自信と愛を携えて

Topic
伝道

御言葉
わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。

テサロニケの信徒への手紙一 2:4

わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。

テサロニケの信徒への手紙一 2:8

観察
これはパウロからテサロニケにいるクリスチャンたちにあてて送られた手紙である。今日の2章には、なぜ、そしてどのように、パウロたちが福音を伝え、人々の人生に携わっているかが書かれている。

・パウロたちは神様に認められていた
・神様に福音をゆだねられていた
・人に喜ばれるためでなく、心を吟味される神様に喜んでいただくために福音を伝えていた
・自分の命さえ喜んで与えたいと願った
・パウロたちはテサロニケの人々を愛していた

適用
僕たちの内側で燃える、「福音を伝えたい!」という思い!しかし時に人の心の内が気になることがあるだろう。「がっかりされたくない、拒まれたくない」と思う時があるだろう。そうなったものなら、もう自分は福音を伝えるのに相応しくないかのように感じてしまうかもしれない。

しかし忘れてはいけない。主が僕たちを認め、福音を委ねてくださったのだ。僕たちの努力ではない。そして人が喜んだ時も、そして喜ばなかった時であっても、主が喜んでくださっているだろうか?と考えることが必要である。

反対にこういう人もいるだろう。「人のこと気にならない!」。そして周りのクリスチャンたちに、「いつでもどこでもはっきりと福音を語るべきだ!」と憤る。

しかし残念ながら、そういう人のほとんどは(もちろん全員なく!)、

「神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。 」

と言ったパウロたちの姿からは程遠いことが多いように感じる。
例えば子供達にも同じように福音を語るだろうか?いや、子供たちにほんとうに福音を伝えたいなら、彼らのわかる言葉や態度を選び、また最善の時を選ぶことができるように祈ることもあるだろう。

主の言葉が永遠に完全であっても、伝える僕たちは欠陥だらけである。目の前にいる相手を、少しでも神様が見るように見て、知り、愛することができるように祈ることはとても大切なことである。

神様がパウロたちを通し今日教えてくださっている。神様にあってのみ自信を持ち、神様に喜ばれることを願いながら福音を届けるために生きていく事。そして言葉と同時に、イエス様が愛してくれたように愛すること。

果たして今日僕はどうだろうか?心を吟味する神様に教えられ、悔い改め、そしてますますその愛を受け取りながら、主の福音を宣べ伝える者として生きていこう。

祈り
愛する天のお父さん、あなたの素晴らしい御名を賛美します!今日もあなたに知られ、愛され、義とされている恵みに感謝します!今日はパウロたちの姿から、福音を伝える者としての生き方を学びました。感謝します。時に人の心が気になることがありますが、あなたに認められていること、あなたに福音を委ねられていることを思い起こさせてください。

そして、あなたを喜ばせることを僕の願いとすることがいつもできますように。イエス様、あなたやパウロたちがいのちさえ喜んで与えることを願い、そして文字通りそうして福音を届けてくれたように、僕もイエス様に倣う者とならせてください。けれど愛も知恵も足りない僕ですから、あなたからの豊かな愛と知恵を祈り願います。あなたの福音をまだ知らない人々のために僕を用いてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

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