Topic 高慢・自分中心
Scripture
“人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。”
マタイの福音書 6章1節
“あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。”
マタイの福音書 6章4節
聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会
Observation
人に見せるために良い行いをする人々がいた。
彼らにイエス様は、人前で自慢するように善意を行うことは気をつけなさいと言われる。
たとえ、人から見えない陰で行っていても神様だけはちゃんと見てくださっている。
Application
どうしても自慢したい。
自分は頑張っているんだと主張してしまう自分がいる。
正直、他の人の方が忙しいし、もっと大変なところを通っている。にもかかわらず、まるで自分が世界で一番大変かのように「大変なんだ自慢」をする自分が存在する。
人に認められたい一心なのかもしれない。
でも、それって返って逆効果である。
周りは毎回のように、大変で忙しいんだ自慢を聞かされる。
途中で嫌になるだろう。
僕はやっぱりどこかに認められたい。
そういう思いが強いのだと思う。
だけど、今日のマタイ6章4節が目に留まる。
“隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。”
例え、それが人に見えていなくとも自慢などする必要もない。
自分が何か頑張っているかのようにアピールする必要もない。
すでにその姿を見て、認め、その働きに報いてくださる方がいる。
主の主、王の王、であられるはずの偉大なかたがこんなちっぽけな僕んことを見逃すことなく見ていてくれる。それで十分じゃないか。僕はどうしてこうも自慢したがるのか。
1、神様は認めてくれている。
2、自分中心を悔い改める。
2、置かれたところで一生懸命に。
Prayer
愛する天の神様
僕はあなたに愛されているのに、自分のしていることをこれでもかと言わんばかりに自慢して、もっと愛して欲しい、認めて欲しいと周りに怒鳴り散らしているようなものです。でも、あなたは何一つ見逃すことなく僕をずっと見守ってくれています。そのことに心から感謝します。喜びます。今、置かれているところで、じっと黙って一生懸命になれますように。見せるためではなくて、心からできますように。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。