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「開かれた心」

Topic 心

Scripture 

コリントの人たち。私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。私たちの心は広く開かれています。あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。

コリント人への手紙 第二 6:11-13 新改訳

11愛するコリント教会の皆さん。私は心にあることをみな、お話ししました。私は心の底から、あなたがたを愛しているのです。 12今なお私たちの間に冷たい空気があるとしても、私に愛が欠けているせいではありません。あなたがたの愛があまりにも少なくて、私まで届かないのです。 13今、実の子どもに対するように、あなたがたに話しています。どうか心を開いてください。私たちの愛にこたえてください。

2コリント6:11-13 リビングバイブル訳

Observation

パウロとコリント教会の人々のすれ違い

パウロはとことん彼らに心を開いていた。何も隠さず、きっと涙も喜びも共有する思いだっただろう。これまでの失敗も何もかもパウロは心開いて語った。全てをコリント教会の人々にさらけ出した。

何でもオープンにするのは時に危険だし、心を閉ざしてタスク的に牧会をすることの方が楽だろう。けれどパウロはそうしなかった。自分の全てを彼らにさらけ出した。

心開いて、コリント教会の人々を愛し、受け止める準備ができていた。

しかし、一方でコリントの人々はそうじゃなかった。

彼らの心は、パウロに対して深く心閉ざされた状態であった。

Application

リビングバイブル訳では、コリントの教会の人々の愛がパウロまで届かないと書かれている。

それほどまでに彼らの心は閉ざされていた。

開いていない門を通り抜けるのは至難の技である。

閉ざされた心をこじ開けようとすれば、それだけ反発だってある。

しかし、僕は知っている。

こんな心頑なで心閉ざしている僕たち人の扉をずっとノックしてくれている方がいることを。

それがイエス・キリストである。

“見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。”

ヨハネの黙示録 3章20節

心開かないと、入ってこないものがある。

それはイエス様の愛であり、赦しであり、救いである。

そして誰でもないイエス様ご自身が、僕たちの心に入ろうとしてくださっている。心を開くというのは難しいことである。だけど、閉ざしていては何も入ってこない。何も受け取れない。大きな壁がそこにある。人間関係にも同じことが言える。心を無理矢理開きすぎることはないが、閉ざされたままでは何も生まれない。こちらが心開くから、相手も心を開こうとしてくれる。

パウロは心開いて、コリントの人々を愛し、彼らと涙も喜びも共有しようとした。

寄り添おうとした。

必要以上に何でもオープンにする必要はないが、心開いて誰かに寄り添えるものになりたい。

Prayer

愛する天の神様

あなたの心、愛を教えてください。僕の閉ざした心をずっとノックし続けてくれてありがとうございます。あきらめないでくれてありがとうございます。あなたが両手広げて、心開いてくださっているのに僕はよく心を閉ざしてしまいます。でも今、扉開いてあなたに心開きます。これが僕の心です。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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