Topic:牧師、魂、配慮、覚悟、献身、パウロ
Scripture(聖書)
私はあなたがたのたましいを養うためなら、喜んで自分自身でも持ち物でも、すべて差し出します。たとえ、私が愛すれば愛するほど、もっとうとまれるようになってもそうします。
(第二コリント12:15 リビングバイブル)
私は、あなたがたのたましいのために、大いに喜んで財を費やし、自分自身を使い尽くしましょう。私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はますます愛されなくなるのでしょうか。
(第二コリント12:15 新改訳2017)
わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、わたしの方はますます愛されなくなるのでしょうか。
(第二コリント12:15 新共同訳)
Observation(観察)
パウロの牧師・リーダーとしての熱い心意気を感じる言葉である。
愛するコリント教会の方々の魂の養いのためなら、なんでもするというのである。
自分の財も、持ち物はもちろんのこと、自分自身を差し出す覚悟であるというのである。
自分自身を使い尽くす、使い果たすというのである。
Application(適用)
これぞ牧師の鑑(かがみ)!と言える言葉である。
パウロのこの言葉は人を操るためのトリックではない。
本気の言葉である。
人はどうしても盲目的になり、自分のことしか見えなくなる。
特に忙しかったりすると心に余裕がなくなり、周りに心を配ることが出来なくなる。
試練や困難を前にすると自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう。
人の魂を配慮したり、思いやる心が欠けてしまいやすい。
受難週を過ごしている今、まさに私たちの魂の永遠のために毅然と十字架に向かわれたイエス様の姿を思い起こし、またパウロの言葉に襟を正し、牧師に召された者として、魂の配慮をする者となる決意を新たにしよう。
そして、魂のために、すべてをささげると言い切ったパウロの思いを我が思いとさせて頂こう。
また自分自身の魂も日々、主によって養われていくことが必要である。
また、メンターや良い友人たちとの交わりによっても養われていくことが必要である。
昨日は仲の良い牧師夫婦と鎌倉でランチをして、まさに魂が養われるそのような時を過ごした。
こういう友人夫婦が与えられていることを感謝している。
ただ、振り返ると自分の話ばかりで、もっと向こうの話を聞くべきだったなあと少し反省もしている。
わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。
また、こういう決心をする献身者が次々とNHYから起こされることを期待し、祈っていこう。
Prayer(祈り)
主よ。
2022年の受難週(Passion Week)の火曜日を迎えています。
私たちの魂の永遠を配慮してくださり、十字架に向かって進まれた主の愛に感動し、御名をほめたたえます。
また、コリント教会を愛し、牧師としてその魂を配慮するパウロの姿に教えられ、悔い改めさせられます。
主よ、私をこのような魂の配慮をする牧者としてください。
魂のために何でもする、自分自身をもささげる者とならせてください。
また、NHYからこのような覚悟をもって立ち上がる献身者、主の働き人、リーダーがさらに起こされていきますように。
救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン