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「肉VS御霊」

Scripture

私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。

ガラテヤ人への手紙5:25 新改訳聖書2017

Observation

人を支配する肉の思い。

罪の結果から来る報酬は本当に大きい。死をもたらし、与えられた自由を肉の思いままに生きようとする心である。肉の思いとは、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものであると聖書はいう。

それらがいつも心を支配してやまなかったのに、イエス様はそこに終止符を打ってくださった。

十字架による救いを信じるものは新しく造られ、新しい命を生きれる。

そして、御霊が与えられる。

神様はいつでも私たちの心の中に住んでくださるのだ。

しかし、ここで新しい自由に生きるはずが戦いがある。

未だに肉の思いとの戦いがあるのだ。

Application

ありのままで僕らは神様に愛されている。

しかし、同時に目指すべきものがある。それは御霊によって歩む、つまり御霊の実を結ぶこと。救われてもなお、僕の心には肉の思いがある。これがまたやっかいだ。いつでも肉の思いが襲ってくる。だからこそ、御霊の実を結べるようになりたいと願うのだ。怒るよりも愛のあるものに、また、喜びにあふれたものになりたい。不安でいるのではなく、平安で満たされたい。自己中心ではなく、親切に他者を思えるようになりたい。自制のあるものとなりたい。

御霊の実それは、まさにイエス様の心である。

僕らはイエス様の心を我が心となれるように必死なのだ。

この肉との戦いにおいて必死なのだ。

だからこそ、自分の限界に気づいてしまった時ほど、落ち込むことはない。

でも、どこかで肉のままの自分でいいじゃないかと諦めたり、投げやりになっている自分もいる。

しかし感謝なのは、すでに勝利が与えられていること。

イエス様の十字架の血潮によって僕たちはすでにこれらに勝利している。そして、イエスと共にあるもおは古いものが過ぎ去って、新しく生きるのだ。

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまな情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

ガラテヤ人のへの手紙5:24

1、イエス様の心を祈り求める

2、御霊の実を祈り求める

3、何度だって肉の自分を十字架につけよう

4、イエス様の十字架の血潮によってすでに勝利していることを宣言して生きる

Prayer

愛する天のお父さん

イエス様をありがとうございます。イエス様、僕の罪のために十字架にかかって死んでくださり三日目によみがえってくださってありがとうございます。未だに肉の思いとの戦いがあります。その度に、自分の限界を知ります。落ち込みます。でも、またすぐにそれを忘れて自分勝手に生きています。

どうか、御霊の実を与えてください。御霊と共に歩むものとしてください。何度でも十字架に古い自分をつけます。今日も僕を変えてください。勝利者イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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