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「絶対という言葉ほど危険な言葉はない」

Scripture

すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」
マタイの福音書26:33 新改訳2017

Observation

オリーブ山でイエスは弟子たちに「霊は燃えていても肉体はどれほど弱いか」を知りなさいと教えられた。そんな中、イエスは皆がつまずきイエスから離れていくと言うのだ。ペテロは、「そんなことありません!私は決してつまずきませんよ!」
と断言したのだ。

しかし、75節「ペテロは『鶏が鳴く前に、あなたは3度わたしを知らないと言います』と言われたイエスのことばを思い出した。そして、外に出て行って激しく泣いた。」とあるように、イエスの言われていた通りになった。

ペテロのあの自信はどこからやってきていたのだろうか?

Application

ペテロは相当の自信があった。
自分だけはイエスを裏切ることなどない。それが彼の自信だった。しかし、それが脆くも崩れ去ったのだ。激しく泣いたとあるように、彼はその場で崩れ落ちただろう。これまでの自分が持っていた自信が嘘のように崩れていったのだ。
自信はどこからやってくるのだろう?
自分で培ってきたものはペテロがそうだったように実は、簡単に崩れる。壊れていく。
ペテロはここで「つまずいたらどうしたらいいのか」を聞くことはできなかった。むしろ、自分だけはつまずくことはないと信じてやまなかった。

そうやって考えてみると、僕らには不可能などない神がおられ、救い主イエスがおられるのだから自信は無くてもいいのだと気づく。

自信が持てずに自分が嫌いだったけど、自信は無くてもいい。
ただ欠かせないのは、僕にはイエス様がいてくれること。そして神は決して僕を見捨てないこと。ここに信仰を置くこと。いつでも神様が僕の確信となることである。自分の力に過信したり、確信をもってもそれはいずれ崩れる。長続きはしない。

しかし聖書で約束されている。

今日も昨日も、そしてこれからもとこしえにイエス・キリストは変わることがない。
このかたを確固たる礎として信じていこう。
足りなさを埋めることのできる主を我が確信としていこう。

Prayer

愛する天のお父さん
自分の力に自信を持たないといけない。そんな風潮が世の中にはあります。だけど、自分で得た自信なんて脆いなと思わされます。そしてペテロを見ていると、自信は無くても大丈夫と気付かされます。だって、僕にはイエス様がいる。それ以上の確信と自信は他にはありません。あなたに出会って人生が大きく変わり、僕自身がこうして変えられ続けていることを感謝します。これからもあなたに信頼します。自分の力に信頼せず、あなたを信じます。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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