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「何に目を留めるのか」

Topic:視点(信仰)

 

Scripture(聖書)

ですから私たちは、いまえるもの、すなわち身の回りの苦しみには目をとめません。むしろ、今はえない天にある喜びを望みているのです。苦しみは、やがて消え去ります。しかし、その喜びは永くのです。

(第二コリント4:18 リビングバイブル)

 

私たちは、えるものにではなく、えないものにこそ目を留めます。えるものは一的であり、えないものは永くからです。

(第二コリント4:18 新改訳2017)

 

So we fix our eyes not on what is seen, but on what is unseen, since what is seen is temporary, but what is unseen is eternal.

(2 Corinthians 4:18 NIV)

 

 

Observation(観察)

パウロは信仰者の歩みに苦しみや困難が伴うことを語る。

それは、パウロ自身も経験してきたことであった。

 

では、なぜ苦しみ、困難を経験してもなお、信仰を捨てないのか?

神を疑わないのか?

 

パウロの答えは・・・

①見えるものに目をとめない。

なぜなら見えるものは一時的だから。

 

②見えないものに目をとめる。

見えないものは何か?・・・それは天にある喜び。

そして、それは永遠に続くものだから、

 

 

Application(適用)

目に見えるものに目を留める。

それは、目が見える限り、宿命づけられている。

そして、その目に見えるものに私たちは左右される。

 

良い影響を受けることもあれば、悪い影響を受けることもある。

 

実は、何を見るか、何に目を留めるか、は人生の大きなテーマである。

誰にとっても、自分を中心にしか物事を見ることができない。

しかし、パウロはもっと違った次元での視点で生きる人生があることを教えてくれる。

 

それが「見えないものに目を留める人生」である。

別の言い方をすれば、それは「天の喜びに目を留める人生」あるいは、「永遠に目を留める人生」である。

 

11月14日は10年前、親友が天に召されていった命日であった。

彼が小さな小冊子に連載していたコラムのタイトルが「永遠思考」であったことを思い出す。

彼は永遠に目を留めながら、あっという間に地上の人生を駆け抜けて、天に凱旋していった。

 

この地上で生きている限り、この世界にも目を向けなければならない。

そして、この世界だけを見るならば、そこには悪があり、闇があり、苦しみがあり、困難があるわけで、それだけを見続けるならば、やがて失望し、落胆し、絶望し、ただうなだれるのみである。

 

しかし、私たちには希望がある。

たとえ、この地上にどれだけ苦しみや闇が満ちていたとしても、それは永遠ではない。一時的である。目に見えない天の喜びは永遠に続くのだ。

 

どのように、その天の喜びに目を向けていくのか?

祈ることである。賛美することである。

聖霊様を歓迎し、主の前にひざまづき、主を慕い求め、主を礼拝する時に、私たちの目は開かれていくのだ。

 

 

Prayer(祈り)

主よ。

朝晩少しずつ冷え込むようになってきました。

爽やかな火曜日の朝を感謝します。

今日も生かされている恵みを意味を思います。

確かに、この地上には困難があり、苦しみがあります。

けれども、私たちには希望が与えられていることを感謝します。

この目が一時的なものではなく、永遠に目を留めることができるように助けてください。

天にある喜びに満たしてください。

天にある喜びに生かしてください。

天にある喜びを分かち合う者とならせてください。

希望の主イエス様の名前でお祈りします。アーメン

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