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「ルールよりも愛」

Scripture

[マタイの福音書 12:11,12]

イエスは彼らに言われた。「あなたがたのうちのだれかが羊を一匹持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたら、それをつかんで引き上げてやらないでしょうか。

人間は羊よりはるかに価値があります。それなら、安息日に良いことをするのは律法にかなっています。」

新改訳2017

Observation 

安息日にしてはいけないことをした弟子たちを指摘するパリサイ人がいた。

彼らに対してイエス様は「わたしは安息日の主である」と答え、この11節と12節を言葉にされた。

安息日だからと言って、良いことをするのは大切なことだと。

当時、安息日は聖なる日として定められ何もしてはいけない日として定められていた。だから、安息日にしてはいけないとされていることをしたイエスの弟子たちを見て、パリサイ人は今こそイエスを捕らえるチャンスとして責め立てた。

Application

安息日に決められたことを守るのは大切なことだ。

でも、その決まり事や律法に囚われすぎてはいけない。やがてその心は人をさばき、自分さえも赦せなくなる。その心によって自分が苦しくなるのだ。

目の前に片手に病を負ったものを見て、イエス様は当然、憐れまれ、癒された。それさえもパリサイ人は裁いたのだ。もう盲目もいいところだ。彼らは何も見えていない。

それまで何をしても良くならなかった腕が片腕が治ったのだ。

この人にとってみれば人生が変わったのだ。

片腕しか動かせない人生が、両腕とも動かせる人生に変わった。

ある時、聞き手の指を怪我してしまいうまく動かせなくなってしまったことがある。パンパンに腫れてしまい、今でも完全には治っていない。その片方の腕。手の指が使えず、思うように両手で作業できないときは大変であった。それが癒され、両手が使える時の喜びは今でも忘れない。

片手のなえた人にとってイエス様の癒しを体験したその日、人生が大きく変わった。これまでの人生ではなかったことが起こったのだ。

だけど気をつけないとパリサイ人のように自分の正しさに必死になり、ルールや決まりごとに必死になりすぎると本当に起きている主のわざを見逃してしまう。目の前で起きている主のわざをパリサイ人は気付けなかった。むしろ良くないと裁いたのだ。僕もよく、こうした閉ざされた心と目をもってしまう。

でも今日、イエス様の前に出ていきこの閉ざされた心を開いてもらおう。

ルールは大切、

でも、最もたいせつでいつまでも残るものは信仰、希望、愛である。その中で最も優れているのは、愛だ。

柔軟に心の目を開いて愛するものとなっていこう。

Prayer

愛する天のお父さん

あなたの視点で物事を見れますように。人を見れますように。すぐに自分の視点で見て、さばいてしまうことを赦してください、今日、語られたみことばに生きられますように。僕の心を開いてください。見えていない目を開いてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

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