Scripture
すると、悪霊が彼らに答えた。「イエスのことは知っているし、パウロのこともよく知っている。しかし、おまえたちは何者だ。」
使徒の働き19:15 新改訳2017
Observation
パウロを通してなされる神様の数々の奇蹟を見たユダヤ人巡回祈祷師たち。
彼らはその凄さに・・・なんとパウロの真似をした。
パウロがやっているように試しにイエスの名によって悪霊を追い出そうとした。
が・・・
悪霊はうんともすんとも言わず。
むしろ、「イエスのことは知ってるぜ」「パウロも知ってる」「だけど、お前たちは何者なんだ?」と祈祷師たちは問われたのだ。
Application
イエスの御名にどれほど力があるのかを思い知る出来事が、今日は記されていた。印象的だったのはイエスのことも信じず、魔術をし、パウロを非難していたものたちがイエスの御名で祈ることを試したことだ。むやみやたらに神の名を唱えてはならないとあるが、祈祷師たちはとりあえず試しに唱えたのだ。結果は散々だった。悪霊はぴくりともせず、堂々としているのだ。
イエスの御名に力はある。
だから、僕たちはイエスキリストのお名前によってお祈りしますと、お祈りを締めくくるのだ。
しかし、その祈り方・方法に力があるのではない。
パウロの真似をしたからすごいことが起こるのでもない。
イエス様ご自身がすごいのであって、天の父なる神が偉大なのだ。
けれどすぐにそれを忘れてしまう。
忘れて、あれをしていれば大丈夫。このことしていないとダメとdoingになってしまう。そして「おまえは何者だ」と問われた祈祷師たちのように自分が何者なのかを答えることもできず、ひどい場合は忘れてしまうことがある。神様との個人的な関係・・・ではなく宗教学になってしまう。行いに力があるというのではなく、僕と親子の関係を持ってくださる神様ご自身に力があるのだ。
神様は僕のことを神の子供として迎えたいのだ。
待っている。
親子でありたいと思ってくれている。
ここに大切なアイデンティティーがある。僕が何者なのか?と問われた時の答えがある。
このスンバラしい偉大なだけじゃなくて、優しくて、誠実な神様が僕の天の父。そして僕はその子供。パウロのような数々の奇蹟を自分が起こすことがすごいんじゃない。
僕は神の子供でいい。というアイデンティティーを持って生きることができることが素晴らしいのだ。
そして数々の奇蹟をなされる神が、天の父であることが素晴らしいのだ。
Prayer
天のお父さん
あなたの息子です。どうか、この人生を用いてください。日々、イエス様のように生きることができ、考えることができますように。イエス様のように話すことができますように。僕には何の力もありません。でもあなたには偉大です。
あなたにもっと信頼することを教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。