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「今、行け」

Scripture  "このことばを聞いたモーセは、逃げてミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけました。 四十年たったとき、御使いが、モーセに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現れました。" 使徒の働き 7章29~30節 聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会 Observation  モーセはミデヤンの地に逃れてきた。 確信していたものが打ち砕かれ、ボロボロになってミデヤンの地にやってきたのだ。ここで身を寄せて、モーセは40年過ごすことになる。その間、結婚し、男の子を二人授かった。 しかし、その時だ。 燃える柴が現れたと思い近づくと、主の声がしたのだ。 Application 使徒の働き7:34 わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見た。また彼らのうめきを聞いた。だから、彼らを救い出すために下ってきたのだ。今、行け。わたしは、あなたをエジプトに遣わす。 モーセはこの一言をどう受け取っただろうか? 逃げてきた私が?!と動揺したかもしれない。 こんな自分で本当にいいのかと自信を失っていたかもしれない。 また、結婚して家族もできたモーセにとって、ミデヤンは慣れ親しんだ土地となっていただろう。 そこに安心を置いていただろう。 しかし、主はモーセを選ばれた。 モーセをエジプトへと遣わした。 「今、行け」と。 モーセは安心できる地へと逃げてきたはずだった。だけど主は砕かれたモーセを用いられた。 そこに至るまで40年かかった。 だけど、安心しきったモーセを神様は今度、「今、行け」と送り出すのだ。 モーセの心中は穏やかではなかったはずだ。安心がやっと手に入ったのに、神様はモーセにチャレンジを与えられた。一度は傷つき、砕かれたモーセ。安心しきっているモーセに新しいチャレンジを与えられたのだ。 しかし、モーセがこれに応答した先にイスラエルの民の解放があった。 神様は確かにモーセを用いて、彼を通してイスラエルの人々を救い出されたのだ。 主に「今、行け」と呼ばれて、躊躇しても信仰の一歩を踏み出すのなら必ず祝福される。いや主はビクビクしながらでも一歩踏み出すその信仰を用いて素晴らしいことをされる偉大な方である。 Prayer 愛する天のお父さん あなたは不思議な方です。傷ついて逃げてきたモーセを40年かけて癒し、家族を与えました。しかし、モーセをそこからさらにあなたは用いるためにチャレンジしました。「今、行け」とモーセを呼ばれた生ける神が今日もおられることを覚えます。いつ何時でもあなたの「今、行け」という様々な事柄における信仰のチャレンジに一歩踏み出すものへと変えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

「いのちの教えを大胆に語りなさい」

Topic:使命   Scripture(聖書) 19しかし、夜、主の使いが来て、留置場の戸を開け、使徒たちを外に連れ出して言いました。  20「さあ宮へ行き、このいのちの教えを大胆に語りなさい。」 21言われたとおり、使徒たちは夜明けごろ宮へ行き、すぐに教え始めました (使徒5:19-21 リビングバイブル)     Observation(観察) 使徒たちのミラクルなミニストリーが次々と展開され、拡大していく様を見聞きした大祭司やサドカイ派の人たちは、脅威を感じた。そして、「ねたみ」にかられた、というのだ。   「ねたみ」とは恐ろしい。   17これを知った大祭司と、その一族であるサドカイ派の人たちはみな、激しいねたみにかられ、  18うむを言わせず使徒たちを逮捕し、留置場に放り込みました。 (使徒5:17-18 リビングバイブル)   しかし、神はそのような暴虐からも使徒たちを守られた。 それだけではなく、使命に再出発するように励ますのだ。   「さあ、宮へ行き、このいのちの教えを大胆に語りなさい。」     Application(適用) 犯罪の結果ではなく、Ministryの結果、留置場にぶちこまれたのである。 もちろん、それは濡れ衣で大祭司たちの言いがかり、陰謀である。   しかし、留置場に入れられるという事実は決して軽くない。 せっかく絶好調だったMinistryも風評被害を受けて、エライ迷惑である。 使徒たちのプライドも傷ついただろう。 またMinistryをしたら、再逮捕されるのではないか?というトラウマ、恐れも生じただろう。   そんな使徒たちの前に現れた主の使いが放った言葉は・・・ 「さあ、宮へ行き、このいのちの教えを大胆に語りなさい。」 そして、彼らは言われた通りに、従い、行動を起こす。   ①何があろうと使命は変わらない。   神の賜物と召命とは変わることがありません。(ローマ11:29)   ②いのちのことばを語る   ③大胆に語る。     明日は日曜礼拝。メッセージを語る。 召されていることを確信し、いのちの言葉を大胆に語ろう!     Prayer(祈り) 主よ。 穏やかな1月最後の土曜日の朝を迎えています。 あなたがいのちの言葉を語るように召してくださっていることを感謝します。 どんなに状況が変化しようと、あなたが与えてくださっている使命は変わらない。 大胆に語らせてくださり。 また、今日も何人かの人と会う予定ですが、いのちの言葉を語り、励ますことができますように。 救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン    

「王は主に信頼しているので…」

Topic:信仰、リーダーシップ、ダビデ   Scripture(聖書) 王は 主に信頼しているので いと高き方の恵みにあって揺るぎません。 (詩篇21:7 新改訳2017)   王は主により頼んでいるので、 つまずいたり倒れたりすることは絶対にありません。 あらゆる神々にまさる神の変わらない愛に、 頼りきっているからです。 (詩篇21:7 リビングバイブル)   王は主に信頼するゆえ、 いと高き者のいつくしみをこうむって、 動かされることはない。 (詩篇21:7 口語訳)     Observation(観察) ダビデの賛歌とされている詩篇。 そして、詩篇20とセットとなっていると言われる詩篇。   ダビデの王としての素晴らしさは、戦人としての素晴らしさもあるが、やはり「信仰」なのである。   リーダーの資質の第一は・・・主に信頼すること。主により頼むこと。 そのような者は揺るがない!つまずいたり倒れたりすることは絶対にない!動かされることはない!     Application(適用) ダビデは王である。国のリーダーである。 国をリードしていく責任がある。 国を守る責任がある。 国を繁栄させていく責任がある。   リーダーとして重要なことは何か?・・・ 様々な資質が必要だろう。ダビデの時代においては戦人としての資質も必要であっただろう。   では、今の時代に求められるリーダーとはどのような者であろうか? 特に「コロナ禍」と言われるような、先が見えない難しい時代において、リーダーの舵取りは混迷を極める。   リーダーとして大切なことは何か?・・・ ダビデ王のリーダーシップから学ぶことは「主に信頼すること」。   そして、これがリーダーとしての最大の務めである。 時代がどんなに変わろうとも、これは不変の真理である。   僕が夫、父、牧師としてすべき務めは「主に信頼すること」である。   主に信頼することは、問題から目を背けることではない。 リーダーとしてガチンコで向き合わなければならないだろう。 しかし、目の前に立ちはだかる問題を前にしても、怯えなくて良い。 不安にならなくて良い。   主に信頼すれば絶対大丈夫!   100人乗っても大丈夫!という物置のCMがあったが、主に信頼する者は絶対大丈夫! そのような信仰からくる前向き・楽観的な心を持つことである。   NHYも2022年に入って、次から次へと変化を迎えている。 しかし、大丈夫!主に信頼すれば絶対大丈夫!     Prayer(祈り) 主よ。 あっという間に1月最後の火曜日を迎えています。 この世界はどんどんと変化していきます。 教会も変化を強いられます。 けれども、とこしえにに変わることのない御言葉を与えてくださって、御言葉によって支えてくださって感謝します。 ダビデ王の信仰の姿勢からリーダーとしての大切な心を教えられます。 主よ、あなたを信頼します。 今日もあなたを信頼します。 救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン      

「みことばを思い出した」

Scripture 人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」 女たちはイエスのみことばを思い出した。 ルカの福音書24:7−8 新改訳 Observation 週の初めの日の明け方早く、イエス様に会いにお墓に向かった女性たち。 けれど、石がどけられており、そこに愛するイエスの姿はなかった。 途方に暮れた女性たち。 そこに眩いばかりの衣を着た二人の人が近づいてきた。そして、この2人が女性たちに教えたことがルカの福音書24:7の言葉である。 すると、するとだ。女性たちはイエスのみことばを思い出したのだ。 Application みことばの凄さに驚くばかりだ。 女性たちは、イエス様がよみがえられることを忘れていたかもしれない。けれど、確かに聞き続けてきた主の言葉をこの時、はっきりと思い出した。思い出した主の言葉は、さっきまで落ち込んでいた彼女たちを前に向かせた。そうだ、主はよみがえられるんだと信じて前を向けた。そして、弟子たちの元へ戻っていく気力を取り戻したのだ。さっきまで途方に暮れていたものとは思えない行動力である。 ここに、みことばの力強さを感じる。 たとえ、忘れていたとしても思い出した時、そのみことばは確かに女性たちを力づけた。 神様の声を聞き続けることの大切さを改めて教えられた。 神の声を心に蓄えることは決して無駄なことじゃない。 みことばは僕らを強め、新しい力を与えることのできる生きた神の言葉である。 4/14の働きを思い出した。 4歳から14歳までに一度でも福音を聞いたことのあるものが、将来、主イエスに出会って救われているという統計があるのだ。つまり、一度でもみことばを聞いたなら、それがやがていつか、その人の魂の中で思い出した時、そうだあの聖書の言葉があったじゃないかと再びその人の魂を揺さぶるのだ。 次世代にみことばを語り続けることがどれほど尊いことだろうか。 人々にみことばを語り続けることがどれほど尊いだろうか。 主の声を聞き続けるものでありたいと同時に、みことばを宣べ伝え続けよう。 Prayer 愛する天のお父さん あなたの言葉は生きていて、力があります。あなたの言葉を心に蓄えるだけでなく、思い出した時も、私たちの魂を強めます。新しい力を与えてくれます。感謝します。あなたのみことばを宣べ伝え続けます。あなたの声に耳を傾け続けるものとしならせてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。