トピック: 問題、信仰

御言葉:

イエスは弟子たちに言われました。「どうしてそんなにこわがるのですか。まだわたしが信じられないのですか。」

マルコの福音書 40

観察:

イエス様はある日、夕闇が迫るころ、弟子たちに「さあ、湖の向こう岸に渡ろう」と言われた。イエス様についていく弟子たち。しかしまもなくして恐ろしい嵐が彼らを襲った。舟は大波にほんろうされる、そして水浸し。弟子たちは、ここへ導かれたイエス様に目をやった。するとイエス様は船尾のほうで眠っている。彼らはすっかり動揺して、イエス様を呼び起こす。「先生!船が沈みかけているのに、よく平気でいられますね!」するとイエス様はゆっくり起き上がって、風をしかり、湖に静まれと言った。すると風はたちまちやんで、湖は何事もなかったかのようになった。そしてイエス様は言われた。「どうしてそんなにこわがるのですか。まだわたしが信じられないのですか。」
弟子たちにとっては嵐が問題であった。しかしイエス様にとっては不信仰が問題であった。


適用:

人生に問題、嵐はつきものである。そして恐れ、不安、憤りがわきおこる。しかしその原因はなんだろうか?問題、嵐だろうか?ひょっとすると、恐れ、不安、憤りの原因は、僕たちの心にあるかもしれない。
嵐の吹き荒れる場所へ導かれたのは誰だったか?それはイエス様であった。「さあ、湖の向こう岸に渡ろう」と言われ、導かれたのがイエス様ならば、問題、嵐に目を向け心を任せるのではなく、イエス様を見てみよう。僕の常識、価値観でいうならば、「寝てるし、ゆっくり起き上がるし、なんてのんき!」と感じるかもしれない。しかしイエス様は例えるなら、台風の真ん中、目のようなところにいつもいるのだろう。だから周りが嵐で問題だらけでも大丈夫。そこに力があり、平安があり、守りがある。そしてそんなイエス様に信頼し、ついていき続けるなら、時が来て、嵐は消えてなくなるのだ。
イエス様に目を向け、ついていくことは、なにもしないでできることではない。意図的、意識的にすることが必要なことである。祈りを通して、聖書の御言葉を読む時間を通して、与えられた友達、家族との励ましあいを通して、イエス様に目を向け、ついていこう。

祈り:

愛する天のお父さん、あなたの御名を賛美します!人生には嵐があり、問題があります。不安、恐れ、憤りを感じることがあります。その時、嵐や問題にだけ目を向けるのではなく、ここまで忠実に導かれたあなたに心の目を向けることができますように。その姿を見て、さらに憤りを感じてしまうことがあるかもしれない。そんな時は許してください。あなたを信頼することを教えてください。あなたが統べ治められる方であることを教えてください。イエス様の御名前によって祈ります。アーメン!