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人生は起こる出来事で推しはかられるのではない

Topic: 人生の目的
S
王は言った。 「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
ダニエル書 3:25
O
捕囚の民としてバビロンへ連れてこられたユダ族出身のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの四人。彼らの内、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴとバビロンの名前で呼ばれるようにハナンヤ、ミシャエル、アザルヤはバビロン州の行政官に任命されていた。
しかしある時バビロンの王であるネブカデネツァル王の像が建てられ、楽器の音が鳴り響く時、その像を拝まない者は直ちに燃え盛る炉に投げ込まれるという命令が発令された。ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤがその命令に従うことがなかったゆえに、王は怒り猛った。そして彼らを炉に投げ込むようにと命じた。
ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの3人は一つのことを決めていた。それは神様が彼らを救っても救われなくても、神である主以外拝むことはないということだった。神様はそんな彼らのそばに現れて、彼らを救われた。そして本物の神の姿を偽物の神を信じるバビロンの王たちに、燃え盛る火の中で御姿を現したのだった。王は確かに、3人と共にいる神の子の姿を見た。
A
僕達の人生を通して神様が現れるのは、山の頂上、大勝利の瞬間だけではない。燃え盛る試練の中に、神様はご自身が確かにおられることを表される。
しかし忘れてはいけない。たとえハナンヤ、ミシャエル、アザルヤがこの時、体を炎に焼き尽くされたとしても、彼らの魂は燃え尽くされず、別の形で主が確かにおられることを現すために用いられていたことだろう。
数百年前、日本でも長崎の地で十字架にかかり、主に従い通すことを選んだ者たちがたくさんいた。そのうちの一人の名はマチアスという。彼はイエスを主として歩むことを最後前で選び抜き、十字架の上でこの地上での人生を終えた。けれど今でもなお、彼は彼の人生に出会う人たちに、主が確かにおられることを現すために用いられている。
人生の目的はただただ長くこの地上で過ごすことでも、危険を避けることでも、成功を積み重ねることではない。山の頂上で喜ぶ時も、谷の底を歩む時も、唯一の神様を褒め称えながら、神様の栄光を輝かせるために今この瞬間に生かされているのだ。
僕達にとって素晴らしい人生、偉大な人生とはなんだろう?人は色んな定義を言うだろう。しかし少なくとも、それは起こった出来事たちで推しはかられるのではない。起こった出来事の中で、どのような心と志を持ち、どのように生き抜いたかによってはかられるのではないだろうか?この地上で痛みや困難の中で人生を終えた人々がいる。しかし彼らは、この地上での命終えてなお、主の光を表し続け、主の偉大さを語り続けている。
燃え盛る試練を僕達が通る時、恐れや疑いはやってくるものだ。けれども、ユダから連れてこられた3人の少年、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの姿に、そして日本の地で命尽きるその瞬間まで主を礼拝し続けたマチアスの姿に、今励まされている。僕も彼らのように、決して人生の目的を見失わずに生きていきたい。今日僕はこうして生かされている。主を礼拝することができる恵み、生かされ主の栄光現すために用いられる喜びに感謝しながら続けてこの人生を歩んでいこう。
P
愛する天のお父さん、あなたのすばらしい御名を賛美します。今日はハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの姿に、またマチアスの生き様に励まされ、また教えられています。主よ、僕が人生の目的を忘れることがないよう、疑うことがないよう、恐れることがないよう、いつも教え、励ましていてください。しかし弱さがある僕ですから、どうかその度にあなたからの助けを求め、祈ります。僕が後どれほど生かされるかわかりません。けれどなにがあろうとも、あなたに信頼し、あなたを賛美し、生きていくことを選びます。この人生を捧げます。どうぞあなたが用いてください。そしてあなたの素晴らしさを、愛と赦しを一人でも多く人が知ること、受け入れることができますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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