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「極度の貧しさと試練の中でも」

Topic:教会、試練、喜び

 

Scripture(聖書)

2多くの試練や困のただ中にあったマケドニヤの教会が、ひどくしいにもかかわらず喜びにち、その果、あふれるほど惜しみなく、他の人々に施すようになりました。 

3自分たちの力にじてささげたばかりでなく、力以上にささげました。私がやかましく催促したからではなく、自的にそうしたのです。

(第二コリント8:2-3 リビングバイブル)

 

2彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。

3私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、

(第二コリント8:2-3 新改訳2017)

 

 

Observation(観察)

マケドニヤの諸教会は・・・

 

①ひどく貧しかった(極度の貧しさ)。

 

②激しい試練と困難のただ中にあった。

 

③喜びに満ち溢れていた。

 

④惜しみなく他の人に施していた。

 

⑤自分たちの力以上にささげていた。

 

⑥催促されたからではなく自発的にささげていた。

 

 

Application(適用)

なんという教会か。

自らが極度の貧しさや試練、困難を経験しているのだから、自分たちの方が助けてほしいはずである。

しかし、マケドニヤの諸教会は自分が助けられることよりも、他の人に施すことを選んだ。

自分が受けることよりも、与えることを選んだ。

安心よりも、信仰を選んだ。

愛されることよりも、愛することを選んだ。

犠牲を払ってもらうことよりも、自ら進んで犠牲を払うことを選ばれたのだ。

 

それは、この世的に見れば損をする生き方である。

苦しみに苦しみを重ねる生き方である。

常識とはかけ離れている生き方である。

要するにアンビリーバボーな生き方である。

 

ところが、彼らは喜びに満ち溢れていたのだ。

 

これが信仰の世界である。

そして、これはイエス様が見せてくださった生き方そのものなのだ。

 

マケドニヤの諸教会ほどではないが、NHYも経済的に意味においては試練を通っている。

僕のリーダーシップの至らなさである。

管理に関する知恵が足りなかった。

 

しかし、このことも成長の糧にしていく。

そして、このような時期でもマケドニヤの諸教会のように、喜びに満ち溢れて、進んで犠牲を払い、他の人を助ける教会でありたい。

 

①惜しみなくささげる。

 

②力以上にささげる。

 

③自発的にささげる。

 

 

Prayer(祈り)

主よ。

なんと気持ちの良い爽やかな朝でしょう。

2023年の受難週の土曜日を迎えています。

毎年巡ってくる、受難週ですが改めて主の十字架にあらわされた愛を感謝します。

そして、愛するNHYのリーダー達と共にDevotionできる幸いを感謝します。

パウロがシェアしてくれたマケドニヤの諸教会のささげる信仰に教えられます。

まさに「受けるよりも与える」教会でした。

イエス様の生き方に倣う教会でした。

主よ、僕も、NHYもこの生き方に倣う者とならせてください。

愛の主イエス様の名前でお祈りします。アーメン

 

 

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