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「愛し、励まし、支える」

Topic 育成

Scripture

10-11デマスはこの世の楽しみに心を奪われ、私を捨て、テサロニケに行ってしまいました。クレスケンスはガラテヤへ、テトスはダルマテヤへ出かけ、私のもとに残ったのはルカだけです。こちらへは、マルコも連れて来てください。彼に頼みたいことがあるのです。

2テモテへの手紙4:10ー11 リビングバイブル訳

Observation

パウロは自分の最後が迫っていることを知る。

これまで膨大の量の手紙を書き続けてきたパウロにとって、最後になるかもしれない手紙である。

その内容はなんであったか?

・時がよかろうと悪かろうと「みことば」を宣べ伝えること。

パウロが遺言として最後にどうしても伝えたかったことは「みことば」を宣べ伝えること。福音を伝えよであった。

パウロはどこまでも生涯を福音宣教に捧げた人だ。

そのパウロは最後に、テモテに自分のもとに来るように伝えている。

しかも、意外な自分を連れてくるようお願いしている。

「マルコ」であった。

Application

マルコといえば、パウロが一度突き放した人物である。

伝道旅行に、ついてくることもできず、途中で逃げ出したようなものは連れていけないとパウロは次の伝道旅行でマルコを置いていった。しかし、その置いていかれて突き放されたマルコがここで再登場する。

しかも新改訳聖書だと役に立つ存在として認められている。

リビングバイブル訳では、マルコに頼りたいことがある。

まさかのパウロが頼るほどの存在となっているのだ。

マルコはきっとパウロに突き放された時に挫折を味わったと思う。自分は落第点をつけられ、見捨てられた。たった一度、途中で投げ出したことをマルコはもしかしたらずっと後悔していたかもしれない。そこからマルコは、パウロに頼られるほどに成長を遂げる。

この成長の背後に何があったかは聖書に記されていない。

だけど一つだけわかっていることがある。

それはパウロがマルコを置いて行った時に、バルナバがマルコを引き受けて伝道旅行に連れていったのだ。

このバルナバの絶妙なまでのケア、サポートが後のマルコを生み出しのではないだろうか。見捨てられたと落ち込んでいたマルコ。失敗してしまったと落ち込んでいただろうマルコ。そのマルコをバルナバは引き受けてくれた。

パウロが悪いわけではない。

伝道に熱心ならば致し方ない決断である。

しかし同じくらいにバルナバがマルコを引き受けてくれた愛情は深い。

1、人は愛されて育ち

2、人は励まされて育ち

3、人は支えられて育つ

僕自身もそうだった。どうしようもないやつだったのに、教会のみんなに愛され、励まされ、支えられてここまできた。

同じように、人を愛し、人を励まし、人を支えていける人格者でありたい。

Prayer

天のお父さん

マルコが再登場したことに心踊ります。人は失敗や挫折したからといって決して終わりじゃない。励ましてくれる人がいるなら、むしろ、そこから再出発できるんだと知りました。感謝します。

どうか僕自身が人を愛し、励まし、支えていける者となれますように。もし、僕の周りでマルコのように落ち込んでいるものがいるなら、教えてください。励ましを必要としている人を教えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

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