Topic:DCAT
Scripture(聖書)
14私ひとりでは手に負えません。荷が重すぎます。
15これ以上苦しみが続くのでしたら、もうたくさんです。いっそ、今すぐ私を殺してください。」
16主は答えました。「指導者を七十人選び、幕屋へ連れて来て、あなたといっしょに立たせなさい。
17わたしはそこであなたと話し、あなたの仕事を手伝えるように、彼らにもあなたと同じ霊の力を与えよう。
(民数記11:14-17 リビングバイブル)
Observation(観察)
次々と起こるイスラエルの民の不平不満。
リーダーのモーセもいい加減ぶちギレ始めた。
あまりの重責に全てを放り投げて責任放棄したい。現実逃避したい。
でも、どうせ逃れられない・・・。
ならば、いっそのこと死んでしまいたい・・・。
モーセの素晴らしいところは、この愚痴を心の内側にためこんだり、
心の声を無視して知らぬふりを過ごしたのでもなく、神様にこぼしたことである。
モーセの愚痴に対して神様の答えは・・・
①リーダーを70人選ぶこと。
②70人のリーダーへの責任分担。
③70人のリーダーにもモーセと同じ霊の力が与えられる。
Application(適用)
New Hopeの特色は何と言っても「チームでする教会づくり」(Doing church as a team)である。
でも、これは特別に新しいコンセプトや戦略ではない。
聖書にDCATのモデルがある。
今日の民数記11章もそうである。
いくら、モーセが優れたリーダーであっても、彼一人で出来ることには限界がある。
そこで、神様は70人のリーダーを選ぶように命じられた。
イエス様も弟子たち一人一人に声をかけ、弟子に選ばれた。
リーダーの務めの1つは更なるリーダーを選ぶことである。
ここが盲点になりやすい。
自分で何でもしようとするリーダー達の何と多いことか。
その結果は愚痴、責任放棄、バーンアウト・・・である。
そういう僕も以前は何でも自分でやっていた。
それが献身者のあるべき姿で、リーダーシップだと誤解していた。
しかし、New Hopeに来て、DCATを知り、学び、驚いた。
なんと傲慢であったか思い知らされ、悔い改めた。
自分一人で出来ることには限界がある。
しかし、チームだったらその限界の壁を乗り越えることが出来る。
教会に与えられている賜物を発見し、引き出し、適材適所に配置し、用いることである。
コロナ禍と言われるようになって、丸々2年が経つ。
これまでと異なるライフスタイルが求められるようになった。
それは教会も同じである。
しかし、原則は変わらない。チームで建て上げていくのだ。
コロナ禍の中で人と人との接触が遠ざけられ、チーム作りはより困難を増しているかもしれない。
それでも、僕は諦めない。
まず愚痴ったモーセのように神様に祈ろう。
そして、チーム作りのために祈ろう。
DCATのために声をかけよう。
Prayer(祈り)
主よ。
さわやかな火曜日の朝、NHYのパスターズ、若いリーダー達と共に御声に聴く時を与えてくださって感謝します。
モーセのポジションはなかなかキツかったと思います。
愚痴をこぼしたモーセの気持ちも分かります。
でも、神様はモーセにチーム作りのアイデアを教えてくださいました。
そして、私たちNew Hopeの教会にもチームで教会を建て上げることを教えてくださいました。
感謝します。
主よ、コロナ禍の中で今までとは違う方法が求められることも多いですが、クリエイティブにDCATを行うことが出来るように助けてください。
1人の失われた魂に届くために。1人の魂の永遠が変わるために。
教会の頭であるイエス様の名前でお祈りします。アーメン