Topic:愛
Scripture(聖書)
21『お父さん。すみませんでした。ぼくは、神様にもお父さんにも、罪を犯してしまいました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
22ところが父親は、使用人たちにこう言いつけたのです。『さあ、何をぼやぼやしている。一番良い服を出して、この子に着せてやりなさい。宝石のついた指輪も、くつもだ。
23それから肥えた子牛を料理して、盛大な祝宴の用意をしなさい。
(ルカ15:21-23 リビングバイブル)
Observation(観察)
有名な放蕩息子の話。
散々、放蕩の限りを尽くしてきた息子。
典型的なワガママ息子。自己中息子。
そんな息子が父のいる実家に帰ってきた。
さすがに息子も大反省し、父の前に謝罪し、息子と呼ばれる資格がないことを告げる。
そんな息子に対して父のリアクションは・・・あまりにも予想外のものだった。
放蕩息子のために父が用意したものは「罵声」でも「ゲンコツ」でも「無視」でもなかった。
父が用意したものは・・・
①一番良い服
②宝石のついた指輪
③くつ
④肥えた子牛の料理
⑤盛大な宴会
出来る限りの、最大の歓迎をしたのだ。
Application(適用)
自分も人の子の親になってみて、分かるが普通この父親のように寛大にはなれないと思う。
さすがに、追い返すことはしないまでも、どこかよそよそしくなってしまうのではないだろうか。
ここまで手厚く息子を歓迎し、もてなすことが出来るだろうか。
服を出してあげると思うが、一番良い服は差し出せないと思う。
料理も出してあげると思うが、その時たまたま家にあるものを出すと思う。
さすがに盛大な宴会はしないと思う。
しかし、放蕩息子の父は出来るかぎりのもてなしをしたのだ。
何度読んでも、父の愛の大きさに圧倒される。
そして、この父なる神の愛が自分にも向けられていることに毎回驚きを覚えるのだ。
そして、この愛を知っているのに、体験しているのに、自分の愛はなんと狭く、小さく、乏しいものであるかと思わされるのだ。
①父なる神の大きな愛に改めて感謝
②神の愛に倣い大きな愛で人を愛する者とされたい
③最大限の歓迎ともてなしで人を愛する
Prayer(祈り)
主よ。
何度も読んでいる「放蕩息子」の話です。
しかし、何度読んでも父なる神の愛が心に迫ってきます。
父なる神の大きな大きな愛。
それに比べて己の愛のなんと小さく狭く浅いことか。
主よ、あなたのように愛する者とならせてください。
放蕩息子を出迎えた父のように、最大限の愛をあらわすことができますように。
救い主イエス様の名前でお祈りします。アーメン