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「キャプテンジーザス」

[使徒の働き 27:10,11]

「皆さん。私の見るところでは、この航海は積荷や船体だけでなく、私たちのいのちにも危害と大きな損失をもたらすでしょう」と言った。

しかし百人隊長は、パウロの言うことよりも、船長や船主のほうを信用した。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

[ホームページ]

https://graceandmercy.or.jp/app/

Observation 

イタリアへの航路

船の進みは予想以上に遅かった。

そして、予定よりも多くの日数が過ぎた船内には何日も断食している状態の船員たらちがいた。

これを見たパウロは、もう危ない。危険だと百人隊長たちを諭した。

しかし、彼はパウロではなく船のプロフェッショナルである船長の意見を聞いたのだった。

Application 

パウロは自分の意見と通らず、そのせいで危険になったとき、どうして聖書には愚痴や文句のひとつも書いてないのだろうか。

僕は、納得できない。

危険だという意見も通らず、好き勝手に進んだ百人隊長たちがあきらかに悪い。そういう心をパウロは隠していたのか。隠していたかもしれない。

いや、むしろ怒りをあらわしにしたかもしれない。パウロの過去を思うとそうであってもおかしくない。

しかし、パウロはその場にいるものに「元気を出しなさい」

そう言った。彼は怒らず、愚痴を言わずそこで一緒に苦しんでいるものに寄り添った。

どうして、あの情熱的で自分の正義のためなら何をしてもいいと思っていたほどの男から励ましの言葉が出たのか?

彼自身が、他の誰よりも神様のことばに励まされたからだ。感動したから、慰められたから。

彼だって怒り浸透、そしてこのピンチに嘆いたはずだ。そのどうしようもない自分の内側がある中、パウロは神の「恐れることはない。必ずカエサルの前に立つ」このことばに慰められ、励まされたのだ。

この神は、同じように僕にも語ってくれている。その言葉を僕は心開いて聞いているだろうか?

ピンチのときこそ、神のみことばに支えられる。

僕の人生のキャプテン、船長はイエス様

Prayer

愛する天のお父さん

僕は自分の心を閉じ込めています。なんとか取り繕って、いい顔をしています。だけど、そんな表面的な状態が続くと、あなたから語られているはずの言葉と形だけが先行し、うわったらだけになっています。

僕自身が弱く、頑なです。

他の誰よりも僕自身があなたの言葉をあなたの語りかけを必要としています。どうか、いま、語りかけてください。

そして、パウロのような僕も内側から変えてください。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン

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