Scripture
彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもててなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
ルカの福音書10:39−40 新改訳2017
Observation
イエス様が入られた村に2人の女性がいた。
2人は姉妹で、1人はマリア、もう1人はマルタ。
マリアは、イエス様の足元に座って、イエス様の声に聞き入っていた。
一方、マルタはもてなしの準備で忙しくて心が落ち着かないでいた。次第に、その怒りはマリアに向かい、マリアだけに留まらず、何も言ってくれないイエス様にまで矛先が向いた。
この対照的な2人の姿に何を教えられるだろう。
Application
マルタは非常に忙しかった。
イエス様を盛大にもてなすことで大変忙しかった。もてなそうとする心は何一つ悪くない。むしろ、素晴らしい心である。だけど、忙しくなりすぎると、心を亡くす。忙しいとは、心を亡くすと書く。大切なことでも、それに忙しすぎるといずれ心を亡くす可能性がある。。聞く耳を失い、いずれ、それは怒りとなる。
マルタは最初、とても素晴らしい心でもてなしの準備を始めたことだろう。しかし、イエス様にまで怒りをぶつけるほどになってしまった。目の前にイエス様が来ているのに、それどころではなくなってしまった。
忙しさを甘くみてはいけない。
車の運転に例えるなら、スピードを出すと、それまで綺麗に見えていた景色が段々とぼやけてくる。それはスピードが上がれば上がるほどに、景色はぼやけはじめ、見える範囲も狭まってくるのだ。
でも一度、立ち止まると360度全体を見渡せる。
景色が広がる。
今まで見えなかったものが見えてくる。
マルタがここでもし、手を止めていたらどうだったのか。
目の前にイエス様がいる。
その素晴らしい光景を見ただろう。
それが忙しさゆえに、彼女にとってイエス様はマリアを叱る役でしかなかった。
立ち止まるからこそ、手を止めるからこそ見える大切なものがあると気付かされる。
もちろん、マリアのしていること。マルタのしていること。どちらも大切なこと。だけど、忙しすぎて立ち止まることも忘れると大切なことを見失う。目の前にイエス様がいて、イエス様の声があって、そうしたことが全部飛んでしまう。
大切なことはイエス様が共にいてくれること。
すぐそばにイエス様がいるのに、忙しかったり、いろんなことでそれを見失う自分がいる。
忙しい現代にあって、立ち止まって大切なものに目を向ける時間を忘れないでいたい。そして、立ち止まって本当に見上げるべきイエス様を見上げて生きていこう。
Prayer
愛する天のお父さん
イエス様をありがとうございます。なかなか忙しくて、大切なことを見失いがちです。でも、大切なことは一つ。イエス様がいてくださること。こんなにも近くイエス様がいてくださることです。どうか、忙しや、心騒がしてそれを忘れることがないように助けてください。イエス様のお名前によって、お祈りします。アーメン。