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誰の言葉を生きる希望、道標とするか?

S

聞け、わたしの声に耳を向けよ。

聞け、わたしの言うことに耳を傾けよ。

神はふさわしい仕方を彼に示し、教えられる。

イザヤ書 28:23,26

 

O

イザヤのこの預言は南ユダの人々に宛てられたものである。

彼らはある時から神様よりも頼りにしているものがあった。

それは隣国であるエジプトであり、彼らはエジプトと盟約/同盟を結べば

自分たちは他国からの攻撃が来ても大丈夫だと考えていた。

 

そんな彼らにイザヤを通して神様は、自分の声に耳を傾けるようにと語りかけた。

また、農夫がどのように畑を耕し、作物の種を植えるのか、という例えをもって、

彼らに必要な知恵や知識は神様から出るものだということを教えている。

しかしユダの人々はイザヤの言葉を聞いても従うことはなかった。

 

その後、彼らの頼みとしていたエジプトはどうなったか?

アッシリア帝国によって打ち倒され、彼らが置いていた希望は砕かれることとなる。

 

A

今日という日に僕は何に耳を傾け、何を頼みとしているだろう?

 

あれがあったらいいのに

これがあったら悩まないのに

この問題はこうしたら解決する

この将来はこうなれば安泰だ

 

僕達の持つ考え、方法、願うもの

それらは何を元としているだろうか?

恐れから?心配から?この世の”知識”、”知恵”から?

それらは僕の心や考えに影響を及ぼそうとする。

 

たとえユダの人々が信じたエジプトのように、実は不確かで脆いものであったとしても。

旧約聖書には多くの王が出てくるが、その幾人かは最初は良い王様であった。

しかし時が経つと、彼らの心は神様以外のものに傾き始めた。

彼らの姿に、最後まで神様と共に歩むことの大切さを思わされる。

 

教会に初めて来てから20年。

どれほど自分が歳や経験を重ねようとも、

いつも僕が耳を傾け、心開くべきことは、

自分から出るものでもないし、自分が良いと思うものでもない。

僕に必要なのは、神様の声、聖書の御言葉である。

 

イザヤがユダの人々に語ったことが、今日僕にも語られている。

この20年、失敗だらけ、欠けだらけの僕に恵みを注ぎ導いてくださった神様。

この神様の言葉を僕の生きる希望、道標としながら、次の20年も歩んでいこう。

 

ディボーションの時間を大切にし、またPastor Aaronのように御言葉を覚えることもしたい。

小さなことからコツコツと。まず今週1つ覚えよう。

また、他の人を誘ってディボーションする時間を持とう。

 

P

愛する天のお父さん、あなたの素晴らしい御名を賛美します!

20年間を振り返る時、あなたは本当に良い方でした。一時でもそうではなかったことはなかった。

あなたの愛と恵み、そして忠実さに感謝します。

主よ、どうか僕があなたの声と共に、聖書の御言葉と共に生きるものとしてください。

いろんなものが僕の人生の歩みを変えようとするでしょう。けれどあなたの御言葉に希望を置き、

あなたの御言葉を信じて依り頼み、次の20年を歩んでいくことができるように助けてください。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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