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計り知れないものに目を向ける

S

わたしが大地を据えたとき お前はどこにいたのか。

知っていたというなら 理解していることを言ってみよ。

ヨブ記 38:4

 

“Where were you when I laid the earth’s foundation? Tell me, if you understand.

Job 38:4

 

O

ヨブ記もいよいよクライマックス。ヨブと4人の者が、それぞれの主張を言い尽くした後、神様は嵐の中から話しはじめ、ヨブに質問をした。

「この地、この世界が作られた時、さまざまな法則が定められた時、お前はどこにいたか?どうやってそれらがなされたか、どのようにそれらが変わることなく保たれているのか知っているのか?」

ヨブには当然それらがわからない。彼は創造物であって、創造主ではないからだ。けれどヨブは自分の経験、知っている物事をものさしとしながら、そこから神様が正しくない、公平でないかのような結論を導きだし、また自分の正しさを主張していた。

 

A

僕もヨブのように、自分の持っているものさしを基準に、神様や物事の正しさ、公平さを判断することがある。特に神様に対してそうだ。理解できないことがある時、「これは自分には理解できないことなのだ」と受け入れるよりも、また神様に信頼することよりも、自分のはかれる範囲で結論を導き出そうとしてしまうことがある。

 

ヨブ記を通して教えられること、その大きなひとつは、僕にはこの世で起こる全てを理解できない、それでも神様の主権のもとで生かされている、ということだ。

 

理解できないことがある時には、それを理解することが僕の一番の役割ではない。それより、どんな時も神様を神様として敬い、崇め、信頼することなのだ。もしそう生きないのであれば、僕は「神様がどのような方か?」ということにおいて、何度も間違った結論に至ってしまうだろう。

自分の人生を見て、この世の中を見て、「主よなぜですか?」と問いたくなるような時があるだろう。もちろん、それを神様は教えてくれる時もある。自分にできることもあるかもしれない。

けれどそんな時は、まず自分には理解できない、神様の圧倒的な被造物、また神様の御力に目をとめよう。

 

天に広がる星々を見たり、毎日新しくされる日を感じたり…

そうしながら、自分の力も理解も全く及ぶはずのない、力ある神様がいることを認め、その方を賛美し、信頼することを選んでいこう。

 

P

愛する神様、力ある御名、偉大なあなたの御名を賛美します。主よ、この世の中を見て、また自分の人生に起こることを見て、あなたを疑うような時、自分の正しさや公平さを主張してしまうような時、どうか赦してください。僕が自分の理解を遥かに超えた天や、自然の法則を見つめ、そして自分にはあなたを到底理解できないことを認めること教えてください。また、あなたの偉大さを褒め称え、信頼することを選ぶことができるように助けてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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