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聖書を鏡にしながら

S
怠け者は、良識ある答えをする七人の者よりも、
自分を知恵のある者と思う。
自分に関係のない争いにいきり立つ者は、
通りすがりの犬の耳をつかむ者のようだ。
箴言 26:16-17 新改訳2017

O
ソロモンが残した箴言の26章。今日は16-17節に心がとまった。

今日の箇所には、怠け者の傾向と、関係ないことへ首をつっこむ者がどのようなものであるかが書かれている。

怠け者は優れた見識がある人たちより、自分が知恵ある者だと思う傾向にある。
知らぬことは計り知れないほどあり、学ぶべきことは山ほどある。しかしそれに気づいていない。

関係ないことへ首をつっこむ者は、まるで通りすがりの犬の耳をつかむように愚かである。
自分はそこに携わっていると思っているが、状況を好転させないどころか、
いきなり犬の耳を掴むが如く、その言動によって状況をただ悪化させる。

A
箴言を読んでいると、「その通り!Amen!」なんて思ったりするわけだが、果たして自分はどうだろうか?
聖書は心の鏡と表現されることもあるが、今日の箇所を読む中で、自分に当てはまる姿がそこにないだろうか?

もちろん自分が知恵深いものであり、学ぶ必要がないなんて思ってはいない。けれど自分の行動はどうだろうか?たとえ学ぶ心はあったとしても、それに行動は伴っているだろうか?優れた見識がある人々から学ぶこと、本を読む時間を持つこと、そういったことが自分には必要であるのに少なくなっていることを感じる。

また、世話好きなつもりが、お節介になっていることもある。自分に関係のないことに対して、適切な距離を保つことは大切だ。特に誰かとの会話において、それがなんの解決にもならない&事態を好転させていない時は要注意である。その会話がただの陰口や、むしろ静かに燃える灯火に油を注ぎ、燃え盛る炎、周りを巻き込む火事に発展させていないだろうか?そのようなことがあってはならない。

今日読んだこの箴言の箇所を心に留めながら、自分の言動に注意し、慎重になることを選んでいよう。何よりも、神様に喜ばれる言動を持つことができるように主に祈り、教えられていきたい。

P
愛する神様、あなたの御名を賛美します。聖書を与えてくださり、鏡のように僕の心を写し、僕に教えてくださることを感謝します。また聖書を通して、少しでもあなたの心に近くなることができるように、造り変えてくださることを感謝します。愚かな者であり、関係ないことへといきり立つ者である時が、赦してください。僕を教え、造り変えてください。あなたの知恵と共に仕える者となり、そして愛と平安を届ける器として歩んでいくことができるよう助けてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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