S
彼は言った。「ヘブル人の女の出産を助けるとき、
産み台の上を見て、もし男の子なら、
殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」
しかし、助産婦たちは神を恐れ、
エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた。
出エジプト記 1:16-17 新改訳2017
O
今日からディボーション箇所は出エジプト記。ヤコブとその子供たち、特にヨセフを通して神様がなされた壮大な物語はその幕を閉じ、次の時代へと舞台を移していく。その時代にエジプトで即位した新しい王は、ヨセフたちを知らない世代の王であった。
エジプトの人々は苦難にあっても増え続ける強いイスラエルの民に恐怖を抱くようになっていた。そこでエジプトの王は、新しく生まれるヘブル人の男の子を殺す命を出すことにした。その命を受けたのは同じヘブル人の助産婦たちであるシフラとプア。王からの命を受けたこの2人はどうしたか?彼女たちはエジプトの王よりも、神様を恐れて、生まれてきた男の子たちを殺すことはなかった。
神様を恐れる。彼女たちにとって、どんな思いだったのだろう?細かい描写はないけれど、きっと彼女たちは自分たちが生きているのは神様の恵みによるものだと知っていただろう。神様を心から愛していて、恐れから解放されることと引き換えに、神様との関係を手放すことなど考えられなかったことだろう。
決して安全で平和だと言えない時代の中に生きながらも、彼女たちにとって人生の大事な選択は、自分たちの生活がより良くなること、保証されることに起因するのではなかった。神様と共にいることは喜び!神様に愛され、神様を愛し続ける人生は祝福!神様なしには生きていけない!それが彼女たちの選択を決めるものであった。
A
もしも僕のする選択が、自分の人生をより良くするかどうかや、平和に自由に生きることができる保証を得るためかどうかで決まるのなら、僕は気をつけなければいけない。そのようなことから決められていく選択は、選ぶべきでない選択を僕に選ばせるかもしれないからだ。
特に世の中が不安定だったり、困難があるような時ほど、気をつけなくてはいけない。自分の目の前にある選択が、そこから抜け出せるような、そこから守られるような選択である時、実は自分の考え、感覚が麻痺しているがゆえに、飛びついてしまっているかもしれないからだ。
今日登場したこの助産婦たちのように、神様を恐れることを大切にしていこう。神様の恵みによって生かされていることに感謝し、神様から愛され、神様を愛して歩むことが、自分の人生なのだとリマインドしていこう。
自分の人生に現れる選択を、神様を恐れることによって選んでいく。その時に、自分の人生だけではなく、この時代、そして次の時代の人々が、神様と共に歩む道が作られていく。そのことを信じ、そのことを自分の使命としながら歩んでいきたい。
P
天のお父さんあなたの御名を賛美します。今日もあなたの恵みによって僕は生かされています。あなたなしには生きることはできず希望もありません。それでも、人生で困難や危機に直面する時に、そこから逃げられる、自由になれる選択を選ぼうとしてしまうことがあります。赦してください。主よあなたに愛され恵み注がれていることを僕が忘れることがありませんように。
この世にあって恐れがなくとも、あなたなしには生きていけません。 けれどこの世にあって恐れあろうとも、あなたと共にいるなら生きていくことができます。
主よどうか、今恐れや不安を抱える人がいるならば、あなたからの支えと、励ましがありますように。愛するイエス様の御名によって祈ります。アーメン