S
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、
今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。
ペトロの手紙一 2:25
O
この手紙は使徒ペテロが書いたものである。時代はローマ皇帝ネロによる、クリスチャンに対しての大迫害が起こっていた頃。ペテロはその只中にあったクリスチャンたちに向け、この手紙を書いた。
第二章の最後には、仕える者たちへの勧めが書いてある。彼らの中には不当な理由で彼らの上にたてられた者たちからの苦しみにあっていたものたちがいた。ペテロは彼らに、イエスキリストも痛みと苦しみを通られたこと、示してくれた姿、模範があることを教えた。そしてその方の足跡に続いて歩むことを励ましている。
罪があり、完璧でない世の中で、イエス様を模範にし、イエス様と共に生きる。それは彼らにとって、簡単なことではなかっただろう。そこには想像を絶する痛みと苦しみがあったからだ。
もし迫害を受けていたクリスチャンたちが、自分の人生に起こっている痛みや苦しみによってのみ、自分の人生を考えていたら、それはなんと不公平で不幸せな人生だっただろう?けれど彼らの人生をただ痛みや苦しみによってのみ、はかることはできない。
彼らの人生がどのようなものであったか?それをこの章の最後から垣間見ることができる。
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、
今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。
ペトロの手紙一 2:25
彼らは羊のように彷徨うものであった。けれどそれを変えたものがある。それは彼らの環境だろうか?いや、そうではない。住みやすく外敵もいない場所に住めるようになったことではない。そのような中にあって、魂の牧者であり、監督者であるイエス様が、彼らの羊飼いとして導いてくれるようになったのだ。
A
僕の人生は痛みや苦しみの有無ではかることはできない。
人生にはいい時もあれば、苦しい時もある。
けれど、いつも僕には魂の牧者、監督者であるイエスがいてくれる。
だからどこを歩む時であっても、僕は一人でこの世を彷徨うものではない。
良い羊飼いによって魂を守られ歩むものなのだ。
もちろん、それを知っていながらも、痛みや苦しさは、僕の心にがっかりした思いや、疑いをもたらす。
そんな時、痛みや苦しさをもたらす状況に目をとめるのではなく、そのただ中、共にいてくれて、魂を守り、導いてくれるイエス様に目をとめよう。その時に必ず僕の心には平安があるだろう。痛みと苦しみの中に置かれていようとも。
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
ヨハネによる福音書 10:11
P
愛する天のお父さん、あなたの御名を賛美します!あなたは良い羊飼いであるイエス様を送ってくれました。命をかけて僕達の魂を守り導く方が共にいてくれることに感謝します。この地上には痛みや苦しみがあるでしょう。けれど、イエス様がいるから、決してこの魂が滅ぼされることはありません。いつも良い羊飼いであるイエス様が自分と共にいてくれる、この幸いと恵みに心の目をとめるものでいられるように助けてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン