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新しくされ続ける

S
あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。
コロサイ人への手紙 3:9-10 新改訳2017

O
コロサイのクリスチャンたちの間には、真理をあいまいにする教えが入り込んでいたようだ。一つは、その地域にもともとあった、多神教の文化からくるもの。もう一つは、ユダヤ人クリスチャンのかつての生き方、律法主義からくるものだった。

たとえそれらが偽り、真理へ導かないものであったとしても、ある人たちにとっては、それらがもっともらしく聞こえたことだろう。コロサイ教会を始めたエパフラスから、そのような問題があることを聞いたパウロ。そのパウロがこの手紙を書いているのだが、パウロはこの手紙の3章で、どこに目を向け、何に心を満たしているべきで、何を捨て、やめるべきなのかを具体的に書いている。

そしてパウロはキリストにあって、人は古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着た、と表現している。新しい人とはなんなのか?パウロはこう言う。「新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け」(3:10)。

1章でパウロは「キリストはすべてのものの創造者なのです。」(1:16)と言っている。つまり、新しい人、その姿とは創造主のかたち、すなわちキリストのかたちなのだ。

そして次の言葉に注目したい。「新しくされ続け」。つまり僕達は、今この瞬間も、明日も、明後日も、キリストに似たかたちに、新しくされ続けているのだ。

A
今日の箇所から励まされたことは、第一に、僕達はキリストのかたちへと、新しくされ続けている、ということだ。

僕達はイエス様を知り、心に迎え、クリスチャンとなって生きていたとしても、がっかりすることがある。今の自分を見て、失敗があって、欠けがあって、昔と変わっていないような気がして。もしかしたら周りの人と比べることもあるかもしれない。

そんな時、僕達は気をつけないと、間違った考え、教えに傾いてしまうことがある。世の中の文化、価値観に心を惹かれ、クリスチャンとしてのアイデンティティと混ぜ物にしてしまうかもしれない。また、律法主義者のように、自分の努力や成功を鎧にするかもしれない。
けれど僕達が見つめるべきは全ての造りであるイエスなのだ。なぜなら、明日の僕達の姿はその姿にあるからである。僕達は古い自分をその行いとともに脱ぎ捨てて、造られた方のかたちにしたがって、日々、新しくされ続けるのだ。

もし失敗や欠けに心が落ち込む時、キリストを見つめよう。イエスと時間を過ごそう。話し方、反応、品性、子供は意識していなくとも、親に似るように、僕達もイエスと一緒なら、必ず変えられていく。少しずつだったとしても、一歩ずつ、真の知識に至るその日まで。

P
愛する天のお父さん、あなたの御名を賛美します!失敗することがあり、欠けがある僕ですが、主よ、あなたの恵みによって生かされ、変わることなく愛されていることを感謝します。心が落ち込む時、世の中の文化や価値観が語りかけてくるでしょう。また、自分の頑張りや、成功を鎧のようにしたくなるかもしれません。けれど僕は、あなたを見つめ、一緒に過ごすことを選びます。あなたは古いものを捨て去り、新しくしてくれるから。あなたに似た者へと新しくし続けてくれるから。イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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